1920年代、パリ前衛芸術界の花形だったナンシー・キュナード(1896-1965)は、正真正銘のセレブだ。豪華客船を運航するイギリスの船舶会社を相続する一族に生まれた詩人であり、ロンドンでは、ヴァージニア・ウルフなどの文学者と交流していた。保守的なイギリス上流社会を離れ、パリに来たキュナードは、シュルレアリストやモンパルナスの芸術家、文学者たちと知り合う。この時期にマン・レイが撮ったキュナードは、収集していたアフリカ産象牙の腕輪を何十個も着けている。だが、彼女の人生は、その華麗な姿からは想像できない、反骨精神に満ちた、人間の尊厳、平等、自由のための壮絶な闘いだった。
ケ・ブランリーの展覧会は、その中でも彼女の出版活動と人種差別との闘いに焦点を当てている。1928年にフランスで出版社を創設し、実験的な文学作品を出版した。当時の伴侶だった黒人のアメリカ人ピアニスト、ヘンリー・クロウダーが彼女の出版活動に協力した。
1934年、世界中の黒人文化人・政治家・学者などを網羅し、当時の黒人の置かれた状況をドキュメント風に紹介した『Negro Anthology』を出版する。未曾有の政治的、文化人類学的、社会的、歴史的な本だった。会場では、この本と中身の一部が展示されている。
人種差別に関わる問題として、1931年、アメリカのアラバマ州で白人女性を強姦したとして死刑を宣告された9人の黒人少年の事件も取り上げられた。キュナードはロンドンから国際的な救済キャンペーンに参加し、署名運動を行った。「人種の平等、性の平等、階級の平等」を掲げたキュナードは、その後1936年にファシズムと闘うため、内戦が勃発したスペインに行き、英米のメディアに記事を送った。
自らの信条に従って、優れた行動力で人生を駆け抜けた、稀有(けう)な激しい女性だった。こうした人がいたことを知るだけで勇気が与えられる。(羽)
Musée du Quai Branly : 37 quai Branly 7e
5月18日迄(月休)。
画像:Man Ray,»Nancy Cunard»,1925
© MAN RAY TRUST / ADAGP, Paris, 2013
© Centre Pompidou