1971年、パリ大学都市の本館で、〈Le Grand Magic Circus et ses animaux tristes 魔法の大サーカスとその悲しい動物たち〉演じる『Zartan, frère mal aimé de Tarzan(ターザンの不幸な弟ザルタン)』に遭遇した。 植民地主義の落とし子ターザンをパロディ化しつつ、歌あり、踊りあり、吹奏楽あり、サーカス芸あり、マンガチックなギャグあり…。そして裸の若い女優たちが、気持ちよさそうに動き回り、大学都市の本館という、ほこりだらけの沈んだ空間が、一夜で夢の世界に変貌していった! 1968年5月のスローガンの一つ、「La Beauté est dans la rue(美は通りにある)」が、そのままそこにあった。この芝居を書き、演出し、自らトランペットを吹いていたのがジェローム・サヴァリだった。この自称「メランコリックな男」が、3月4日、パリ郊外の病院で亡くなった。70歳だった。
サヴァリは、1942年6月27日ブエノスアイレス生まれ。両親が戦争を避けてアルゼンチンに移住中だったのだ。フランスで中学校生活を送り、その後パリで装飾美術学校に入り、吹奏楽の腕も磨く。1962年からアルゼンチンで7カ月の兵役を務める。1965年にパリに戻り、アラバルなどの演劇人と知リ合う。一度これと思い立ったら反応が早い。1966年には〈Le Grand Magic Circus〉劇団を創立。『Zartan』の翌年に『ロビンソン・クルーソー』、その翌年に『シンデレラと階級闘争』と創作意欲は増すばかり、ファンたちは、年に一度の「祭り」を分かち合うために劇場に押しかけた。
このサヴァリの才能を演劇界が放っておくわけはない。1982年には、モンペリエの地中海新民衆劇場を率いることになり、演劇がエリートだけでなく民衆にも開かれたものになるように力を尽くす。1986年からはリヨンの演劇センター、1988年からはパリの国立シャイヨ劇場、2000年からはパリのオペラ・コミック座と、それそれのディレクターに就任。それにつれてモリエールやシェイクスピアの戯曲も舞台で取り上げ、サヴァリ色を打ち出す。オッフェンバックのオペレッタも大得意だった。1986年にはミュージカル『キャバレー』にも手を出し、ウテ・レンパーの歌と踊りも光って大成功となっている。
美食家で、葉巻が大好き、数々の女を愛したサヴァリ。でもアーティストはやはりメランコリックだった。「ボクがいつもの帽子と赤いマフラーをとると、みんなボクが誰だかわからなくなるんだ」(真)