同性間の結婚を認め、彼らにも養子をとる権利を与える法案〈loi sur le mariage pour tous〉の国民議会での審議は10日間、109時間続いた。その中で、このマラソン審議に疲れも見せず、右派からの質問、批判にも、納得させるようなゆっくりとした口調で、時には詩人や哲学者の一節を引用しながらき然と答えていたクリスティーヌ・トビラ法相(61)に、社会党内からだけでなく、右派からも賛辞の声が上がった。同性結婚に大反対の民衆運動連合のフィリップ・ゴスラン議員は「熱意をかき立てられた。法相は正面から答えてくれるので、議論は力強いものになった。彼女は論敵と面と向かって闘い、誘惑し説得することを好む。勝利を得るためにね。その才能は尊敬したい」と語る。
覚え書きなしで、45分間続いた初日の演説では、「(この法案で)私たちはようやく平等を達成することができるのです。(…)右派のあなた方は過去への視線を執ように持ち続けることができますが、私たちはこの法案を成立させることが誇りです」。「演説は丸暗記したわけではなく、すべて彼女の頭の中にあるのです。浸り切っているのです」と彼女の顧問は語る。社会党の若い議員は、「彼女は落ち着いているけれど、まれにみる情熱、勇気があふれ出て、歴史を画す改革に面しているという感じを強くしました」と語る。「妊娠中絶を合法化する法案を成立させたシモーヌ・ヴェイユや、死刑廃止を実現させたロベール・バダンテール以来の大臣という声も」と讃えるのはクロード・バルトローヌ国民議会議長。
トビラは1952年、フランスの海外県ギアナの首都カイエンヌ生まれ。パリ大学で農学を専攻し、ギアナに戻ってからは農協設立や、ギアナの農産品輸出促進のための事務局などで力を尽くす。1981年にミッテラン社会党政権が成立するまでは、独立運動家として活躍。1993年には無所属で国民議会議員選挙に出馬して当選。1997年にも再選され社会党に加わるが、2002年の大統領選挙では、左翼急進党から立候補して第1回投票で2.32%の得票率。この票が、社会党候補ジョスパンが第1回投票で敗退した理由だと、当時はトビラを批判する社会党議員が多かった。2012年、フランソワ・オランド政権誕生と同時に、法相に抜擢された。大の読書家で学界の友人も多い。(真)