優秀な国際フィナンシャルコンサルタントとして活躍するフェリシテ・エルゾーグ(44)が、『ある英雄』を出版した。その「英雄」とは、彼女の父モーリス・エルゾーグ(93)。1950年、ルイ・ラシュナルと共に世界で初めて8000メートル峰登頂に成功し、彼がアンナプルナの頂上とおぼしき地点に立って三色旗を振っている写真がパリマッチ誌の表紙を飾る。たちまちにフランス人のヒーローになり、翌年出版された彼の『Annapurna-premier 8000 処女峰アンナプルナ』は世界的な超ベストセラーになる。実は、ボクも少年時代からこの本を何度も読み返し、手袋なしに登頂を続けて手の指を切断されたエルゾーグなど、山男たちの勇気に胸を熱くしていたものだ。
ところがである、イヴ・ヴァリュなどの山岳専門家によれば、エルゾーグとラシュナルが登頂したかどうかは大いに疑わしいという。まずアンナプルナ登頂の写真。エルゾーグは頂でなく斜面に立っている。頂上で撮ったという5枚の写真はいずれもぼけていて周りの風景が見えない。どうやって登頂したかの記述がまったく曖昧である。ふつう登山家は登頂の証(あかし)としてケルンを積んだりするものなのだが、次に登頂した登山家によると、何の痕跡もない、などというのがその疑惑の根拠になっている。
そしてフェリシテ・エルゾーグは著書の中で「登頂が本当だとしたらあまりにもできすぎた話。(…)最悪のことも共にするザイルでつながれた二人の男の間で、決して打ち明けてはいけない契りが結ばれたのだ。こうして、将来フランスの神話となるものがでっち上げられた」と弾劾する。この登山で凍結した足を切断されたラシュネルは、エルゾーグに英雄の地位を独占され忘れ去られていく。それが悔しいラシュネルは、ルモンド紙に彼から見たアンナプルナ登山記を掲載しようとするが、エルゾーグが力を持つヒマラヤ委員会に、ガイド職から追放すると脅かされて断念。この登山でやはりガイドだったガストン・レビュフェは「ああ、もしエルゾーグが手袋のかわりに、三色旗をなくしていたら、私はとてもうれしかっただろう」と語る。
この国民的英雄は、ドゴールに気に入られ青少年・スポーツ担当相を務め、国民議会議員になり、シャモニー市長を9年間務める。しかし、フェリシテは、父エルゾーグにとって「周りの女性たちをものにし、彼の神話的存在に完全に屈服させることだけが大切だった」と続ける。彼のえじきになったのは、まず英国やオーストリア出身のオペアたち…夏の暑い日にほとんど裸同様で日光浴しているフェリシテの前に現れた父は、娘にポーズをとらせながら写真を撮った後、両腕を上げながら娘に近づき「ほらごらん、ほかの女たち同様にこれがお前の好きになるものさ、お前が快楽を与えることになる固いセックス」と言い放ったという。
この一冊は、やはり父の英雄像に押しひしがれ、精神分裂病に苦しみながら34歳で階段から落ちて亡くなった兄に捧げられている。(真)