4月下旬、ニーム市で行われたチェスのフランス選手権12歳以下部門で、パリ郊外クレテイユ市に住むファヒム・アラム(11歳)が優勝。その素晴らしい才能をのぞけば、同市の中学校に通う、マンガやサッカー好きのふつうの少年に見えるが…。
6歳の時に父親のヌラ(47歳)からチェスの手ほどきを受けてめきめき頭角を現し、バングラデシュの首都ダッカのチェスクラブのマスコット的存在に。ところが勝利を重ねるに連れ、家族が反政府に属する親族であったこともあり脅迫を受けるようになる。そこで2008年秋、父親は他の家族を残したまま、ファヒムを伴ってフランスへ。
何度かの申請にもかかわらず滞在許可書は下りず、二人はパリ郊外メゾン・アルフォール市の外国人亡命者向けの寮に2年間滞在。ファヒムはクレテイユのチェスクラブに入会し勝利を重ねる。2010年暮れからは二人ともホームレスになり、路頭のテント生活が始まる。昨年9月、「子供が路頭で眠ることなど許せない。ファヒムは頭がよく、勇気もある子で、一所懸命にがんばっている」と、同じクラブに子供が通っている2家族がファヒムを代わる代わる引き取ることになる。父親はパリに小部屋を見つけ、もぐりの仕事をしながらフランス語を学び始める。父親は、不法滞在で逮捕されるのをおそれながらも、地下鉄で毎日夕食時にクレテイユにやって来て、チェスクラブで息子に会うという日が続く。
彼のコーチのグザヴィエ・パルマンティエは「ファヒムには計り知れない将来性がある。そんな彼がいつか飛行機に乗せられて故国に送り返されることは考えることもできない」とフランスチェス連盟に働きかける。そして今回のフランス選手権での優勝。大統領選挙の第1回投票と決選投票の間にもかかわらず、フィヨン首相は二人に滞在許可書が出るように力を尽くしたいと請け合う。クレテイユのローラン・カタラ市長も、バングラデシュで消防士だった父親を、市の救助・消火課で雇うことと、住宅を給与することを約束。
5月11日、アラム父子は、クレテイユ市のヴァル・ド・マルヌ県庁に呼び出される。1時間後に父親は、クレテイユ市に本採用されれば1年間の滞在許可書に書き換えられる3カ月の臨時労働許可書を手に出てくる。ファヒムは、集まった中学校やチェスクラブの友だちを抱きしめ「君たちがボクを救ってくれたんだ」とささやく。これで彼はチェコのプラハでのヨーロッパ選手権への参加も可能になった。
この吉報はボクらの心をあたたかくしてくれるが、ニコラ・サルコジが内相時代に押し進めた「選ばれた移民」路線に忠実な決断でもある。滞在許可書がなくて、以前のファヒムのように苦しんでいる外国からやってきた何千という子供たち。全部が全部チェスのチャンピオンにはなれないのだからどうしたらいいんだろう? それとも国外退去? とオランド新大統領にたずねたいところだ。(真)