ゾラは『ルーゴン=マッカール叢書』の中で繰り返し同じ人物を登場させている。そんな重要人物の中のひとりが画家のクロード・ランティエ。『制作』(1886年)では、苦悩する芸術家としてとりあげられるこの人物だが、『パリの胃袋』(1873年)の冒頭では脇役として軽やかに登場。大都会パリでとまどう主人公のフロランを前に、中央市場を紹介する気の良い案内役を務める。
クロードにとって、中央市場は遊び場であり、絵の題材を探す仕事場のようなもの。そこで働くたくましく美しい労働者、うわさ好きの婆さん、そこらじゅうを走り回る子供たちに挨拶をしたり、「美しすぎる」野菜や果物、魚や肉の前に陶然としたりする。いつもすきっ腹を抱えているのに、感動のあまり、整然と並ぶ野菜などを見ているときは「それらの美しいものは食べ物なのだということをまるで考えていないということは明らかだった。」(朝比奈弘治訳)
食事をとるのもままならない若い画家は、中央市場にやってくると、膨大な食料を「目で食べて」いたのだ。叔母夫婦が切り盛りする豚肉加工店は、クロードにかかるとすばらしいパレットへと姿を変える。「舌の詰め物の赤、ジャンボノの黄、紙の裁ち屑の青、切り身の肉のバラ色、ヒースの葉の緑、それにとりわけブーダンの黒だ。パレットの上じゃどうしても出せないようなすばらしい黒なんだ。」夢と野心ではちきれそうな心を抱えて、市場の端々にまで目を光らせている駆け出し画家のクロードからは、ゾラと深い親交があったセザンヌの面影がにじむ。印象派の擁護者でもあったゾラの筆致からは、絵画を愛するものの視点があふれている。『パリの胃袋』の描写がこんなにも美しく詩情に満ちているのは、この時代に生まれた絵画のおかげでもある。(さ)