フランス人優先、外国人移民排斥を唱える極右、国民戦線党FNが、マリーヌ・ルペン党首の人気で躍進している。右派も左派もこの躍進の責任のなすり合いをしながら、FNにくら替えした国民をどうやったら取り戻せるのか、と頭を悩ませる折りも折り、〈国境なき記者団〉の元代表ロベール・メナール(57)が『Vive Le Pen(ルペン万歳)! 』という小冊子を出した。共著は妻のエマニュエル・デュヴェルジェ。世界中で弾圧されたり拘禁されたりしているジャーナリストを救援する団体の元代表が、と頭をかしげる人も多い。ところが、メナールと一緒に〈国境なき記者団〉を立ち上げたロニー・ブラウマンを初め、彼との付き合いが長い人たちは、彼はいつも反動的だった、とする。メナールは「人権保護団体を率いると左派のレッテルを貼られるが、問題は私が左派でないということだ」と明言し、2007年の大統領選挙ではニコラ・サルコジに投票したことを認めている。
メナールは『ルペン万歳!』を弁護する。「もちろん挑発しているところはあるが、私が言いたいことは、フランスでは、考え・見解そのものを判断せずに、その考え・見解がどこからきたものかだけに頭をひねる。私はFNには属さないが、マリーヌ・ルペンが私が思っているようなことを言ったとする。その場合、彼女が言ったからといって間違いとはしない。人々をファシスト扱いしても議論は始まらない」
しかし問題は、メナールが、「国民戦線党の主張の中には敬意を払うべきものがいくつかある」と述べていることだ。このことは、死刑復活を唱えたり、同性愛者への嫌悪をあからさまにしたりという態度にも表れる。この小冊子には、彼の言うように「表現の自由のために闘うジャーナリストとして」というよりは、明らかな政治的な狙いがあるのだろう。
ロベール・メナールは、1953年アルジェリアのオランに生まれる。 父はアルジェリアの独立に反対する秘密軍事組織OASに協力する印刷屋だった。9歳の時に家族とともにフランスに引き揚げてくる。法学部を出てからラジオの世界に飛び込み、1983年からラジオ・フランスのエロー支局に勤務。1985年にモンペリエで〈国境なき記者団〉を立ち上げる。以降は、その代表としてマスコミにもたびたび登場。2008年に北京五輪ボイコットのメッセージをノートルダム大聖堂から垂らして話題になったことは記憶に新しい。現在は、新保守主義の旗手として、その力づくの話し振りも買われ、テレビやラジオでの出番が増えている。(真)