王家とつながりの深い新興貴族の家に生まれ、ボルドーの市長を2期務めたモンテーニュ。一部の古代人の習慣を引き合いに出し、「あらゆる種類の豪遊、放蕩、快楽の工夫、遊惰、贅沢等においては、われわれもたしかに、彼らに匹敵するだけのことをしている。というのは、われわれの意志も、彼らと同じに堕落しているからだ」(原二郎訳)などと書き、ぜいたくに対して懐疑的だったものの、その嗜好には王侯貴族と重なるところが多々ある。庶民が固くなった黒パンやら塩漬け肉などを食べているなか、モンテーニュ城の食卓には日常的に新鮮な肉や魚が並んだ。パンは塩なしがお好みだったので、特別に注文して作らせたという。ここぞ、というときには祖父から受け継いだ銀食器も登場した。
一方で、父親の教育方針のおかげで、貧しい人々の暮らし向きについてもよく知っていたところにモンテーニュの独自性がある。彼の代父母は農民だった。また、生まれて間もない頃に城から数キロ離れた農家に里子に出され、成長してからもしばらくはそこに留まった。「父の狙い」は「私を庶民に、われわれの助けを必要とする境遇の人々に、結びつけることであった。父はまた、私が、私に背を向ける人々よりも手を差し延べてくれる人のほうに注目しなければならぬと考えていた」。時は16世紀フランス。全土で猛威をふるっていたペストにかかれば、致死率は100%に近い。そんななか、恐れを見せることなしに最期の時間を静かに過ごす「単純なすべての庶民の中に、不屈のあらゆる模範を見た」モンテーニュ。社会的に低く見られていた農民の態度を、気高い兵士の行いに重ね合わせてもいる。
このような感受性を持つ為政者は、現代では、いや、歴史をさかのぼってみても、稀有な存在だろうと思う。モンテーニュの父のように子を導ける立派な親もしかり。(さ)