松下 友紀さん(39歳)
我が家から徒歩3分のイタリア料理店の外壁が、昨年突然赤から青色に変わり、東洋人の男性がオープンキッチンで働いているのが通りから見えた。その後、お店に行った時、シェフが日本人だと知ったけれど実際にお話をすることはなく、今年3月のロックダウンでお店も閉められてしまった。ロックダウンが解除された頃のある朝、乳母車を押すその店のシェフとすれ違い、マスク顔で近況を交換したのが、この度お話を伺うきっかけとなった。
松下さんは、今パリで注目株のシェフ、トミー・グセさんの、この第三店舗の厨房で腕を振るっている。「ニューヨーク」をテーマにしたトミーさんの第二店舗を任されていた時、次に開く第三店舗のテーマが「地中海」だと言われた時、松下さんにとっては地中海料理は未知の世界だった。けれども、以来、地中海の恵みと、その恵みにあやかる国や文化への見聞と興味を広げ、自分の引き出しの数を増やし、松下さんは料理と素材の面白さを実感してきた。
開店から1年、ロックダウンの間に長男が誕生し、店のスタッフを自分の家族同様に気遣うようにもなる。またロックダウンの間、 「地中海」のお店で「TOMOKIのお寿司」をテイクアウトで提供したりもした。
地元静岡県の調理学校では中華を専攻したが、就職1年後に「自分が目指す料理ではない」とフレンチへ移行し、恩師の紹介で行ったスイスのレストランで出会った寿司職人からは寿司作りも学んだ。そしてフランスの地方をトランクひとつで修行して回った後、ようやくパリにたどり着く。「料理は足し算ではなく掛け算。素材、料理人、スタッフなど、すべてが料理のために相乗効果をあげていくのが松下流」で、今はその流儀を自分の名前を掲げる店で展開していくための準備期間だと、松下さんは考えている。(海)
Q:松下さんの先輩がこの欄で紹介されたのをお読みになったとのことですが。
松下:僕、手島(竜二さん、16区にあるレストランPagesのシェフ)さんと働いていたんです。手島さんがご自分のお店を開く前に働いていらしたPomzeという店です。
Q:手島さんはこのシェフシリーズではトップバッターでした。
松下:僕は21歳のときにスイスに行って6年働いたのですが、元々は日本の専門学校で中華料理を専攻し、学校を出てから名古屋のマリオットホテルで1年間中華料理部門で働きながら途中で「何か違うな」と感じて、今井克宏シェフという巨匠のもとでフレンチを始めました。僕の出身地の近く静岡の三鞍です。
Q:今井シェフ地元の人たちと野菜などを一緒に作ったりしていた、評判の方ですね。
松下:そうです、今はもう引退されていますがそのすごい方です。その後シェフのつてでスイスへと渡って6年間働きました。当時自分はフレンチを一からやり直そうと思っていたんですが、何せまずは働かないと生きていけない。そうしたらスイスで働いていた店で銀座の寿司屋久兵衛の寿司職人さんと知り合いになることができて、その方にお寿司を教わりながら同時にフレンチも、という半々の仕事につく機会を得たんです。ローザンヌの近くの小さな村です。はじめはスイスで初の三ツ星を獲ったHôtel de villeというレストランの元シェフであるジラルデさん(Frédy Girardet)の知り合いのレストランで働かせてもらってフレンチを始めたのですが、そのレストランで、久兵衛で働く方と知り合いになって、お寿司とフレンチ半々の仕事に移ったというわけです。
Q:ジュネーヴとローザンヌの間にあるレマン湖の湖畔のレストランでは、結構フュージョンなお料理を出していますね。
松下:そうなんです!こうして自分の中に面白いものを取り入れつつスイスで6年を過ごしたあとにフランスへ来ました。最初に働いたのは聖ヴァレンタイン村にあるAu 14 févrierというレストランに労働ビザをとっていただいたんです。そこのシェフ、浜野雅文さんは僕の師匠みたいな方で、彼は今サン=タムール・ベルヴュー村で二つ星を取って活躍されています。
Q:Au 14 févrierはリヨンにもありますよね?
松下:リヨンでは、一つ星を持つ新居剛さんというシェフが展開されていて、同じ系列のお店では僕と同期だった長谷川祥子さんが今ワインバーを展開して、彼女も星を一つもらっています。僕はリヨンの後、食材を見たいと思ってシャロレ牛のために地方へ飛びまして、ブルゴーニュにある牛の故郷で一年ほど働き、その後シャンパーニュへ行きまして。スーツケース一個で動いていました。そしてパリにはやっぱり「流行り」があったので、その流行りのものも見てみたいな、と2012年にパリの「Pomze」へ。
Q:どのぐらいいらしたんですか?
松下:約4年です。その後トミー・グーセTomy Goussetさんに知り合いました。彼の料理は綺麗だと前から思っていました。盛り付けだけではなく一つのお皿が与えるインパクトがすごいな、と思っていたんです。
Q:それは彼がすでに自分のお店Tomy&coを持ってからのことですか?
松下:いいえ、その前のシャトレにあったPirouetteというレストランでのことです。彼の料理は雑誌にも載っていて、僕の妻も彼のことを知っていました。なので行ってみようということになり、そのとき履歴書CVを出したら「姉妹店に人が足りないから、まずはそこへ行ってこっちのポストが空いたら来れば」という話になって、しばらくしてPirouetteに行けて1年間みっちりトミーさんの元で働きました。すでに僕は34歳で、他の人とは全く違うトミーさんの感覚での仕事がとても勉強になりました。1年経った時にトミーさんから「俺独立するから一緒に来いよ」と誘ってもらったんです。
Q:Pirouetteはトミーさんのお店ではなかったんですね。
松下:まだ雇われシェフで、初めて自分の店を持つという時でした。それが7区にあるTomy&coです。僕はトミーさんと仕事をするのが面白くて一緒に続けていたんですが、ある日シェフが「ビジネス展開をする、もう一軒開けるから友紀、お前そっちへ行け」と言って開いたのが5区にあるHugo&coで、2018年にGault & Millau からMeilleur bistrot de l’annéeに選ばれました。そうしたらシェフが「3店目を開くぞ」「今度のテーマは地中海だ」と言うので。
Q:Hugo&coのテーマは何でしたか?
松下:ニューヨークスタイルとでも言うんですかね。アジアとフレンチを混ぜる、とか。まあフュージョンです。Hugo&coを始めたらすぐに流行り始めて、そうしたらシェフが「3店目を」と言うので、今この店にいます。
Q:トミーさんは元々地中海に縁のある人ですか?
松下:いえ、彼はフランス生まれのカンボジア人です。いつも僕に「お前のシェフがアジア人で悪いな」って冗談めかして言ってました…
Q:ご両親がカンボジア人ということですね?サイトで彼のことを見た時に私はフランスの島出身の方?と思いました。レユニオン島とか。ではトミーさんはご両親がカンボジア人だとすると、アジアの味で育ったということですか?
松下:いや、それが知らないんですよ。アジア料理は大好きでも、僕らアジア人が食べて育ったような家庭の味は知らないみたいです。彼の考えるアジア料理というのは「こういうものだろう」というもので、確信はない。でも僕らが「こういうものを家で食べていました」という風に、例えば今スー=シェフの子はこちらで生まれたベトナム人なんですけれど、料理好きな彼の母親から彼が受け継いで作る料理は現地の味がするんです。シェフのものはやっぱり少し違います。フランスからニューヨークへ行ってこちらに戻ってきたので、彼にとってのアジア料理は「何かと混ぜる」というスタンスです。
Q:フェランディ(パリにある有名な料理学校)に行ってからニューヨークへ渡ったと経歴を読みました。
松下 : でもニューヨークへ渡る前にタイユバンとムーリスで働いたと記憶しています。
松下:ニューヨークでも三つ星で働いたんじゃないかな。シェフは偉いんです、自分をプロモートする力がある、というか。日本人の感覚だとここまでやるか?という感じですけれど、お店を開けるときに毎回すごいプロモーションをかけるんです。有名人やプレスを招んで、そこで売り込みをかけるんです。
Q:空港で流れる映像にこのお店が出ていました。
松下:はじめTomy&co、次はHugo&coそしてそのあとはこのお店Marso&co、と空港でも宣伝をしましたね。料理だけじゃなくて、自分をよりよく見せる、けれども虚構ではない、というところが僕から見ていて素晴らしいと思います。
Q:トミーさんは今おいくつですか?
松下:僕より一つ上なので40歳です。5年以内で3店舗開けるシェフなんてそうざらにはいない、と言われています。僕の役割はシェフのコラボレーターとして、シェフがやりたいというものを取り入れ、それを形にするということです。地中海料理というのは、見たことはある、食べたことはあるものだったんですが、自分で進んでやるか?と言われたらきっと選択肢としてないものでした。シェフに「地中海料理なんてやったことない」と言ったら「お前は料理人だろう、仕事のカテゴリーが料理人だとしたら料理のカテゴリー分けはするな」と言われ…全部やってみろという感じでした。
Q:このお店のメニューはトミーさんとキャッチボールをしながら決めている?
松下:そうです。トミーさんは、僕を信頼してくれているのかどうかはわかりませんが、いつも課題を出してくる。なので僕の信念とするところは、シェフがくれる課題を倍にして返すことです。彼が言ってきたものを自分の中でよりよく解釈して、シェフと試食をする時には自分が持つ倍のものを出そうと心に決めています。それを続けていると、結構こちらのしていることが通るので、こうして5年が過ぎました。
Q:一緒に向上していく、ということですね。
松下:そうです。
Q:トミーさんはTomy&coで厨房に入っている?
松下:そうです。週に一度だけこちらに顔を見せにきますが、残りの時間はTomy&coにいます。メニューのためのミーティングはとても長いんですが、アイデアを渡されて、味を決める。トミーさんが来たときに食べてもらう。それだけです。いいか悪いかによって、ダメだったらまた新しいものを考えて作り直す。
Q:私たちが初めてお店にお邪魔した時にはトミーさんがいらっしゃいました。スープにひよこ豆が入っていてそれがカリカリして美味しかった。
松下:ひよこ豆のフリットのことかな?カリカリの食感、あれは昔からやっている定番、Pirouetteの店にいた頃のものです。僕はあそこの料理がとても好きで鮮明に頭の中に入っているので、シェフが「これ新しいぞ」と持ってきても「あれ、これPirouetteでやってたよ」と言い返すと、「なんだ知ってるんだったら、わかるだろう、やってみて」と任されたりもします。
Q:よくよく考えると、スイスとフランスを合わせて約20年ですね。
松下:そうですね、今18年目ですね。9/3日が満の18年です、はい。
Q:長かったですか?
松下:いやあ、あっという間ですね。特にフランスに来てから、フランスというよりもパリに来てからが特に早かったです。結婚して奥さんにこちらへ来てもらったりもしたし。まあ今になれば、もう少し地方を回ってからパリに来ても良かったかな、とも思いますが、それにしてもここ10年が過ぎるのはあっという間のことでした。
Q:おかみさんは静岡の方ですか?
松下:そうです、同じ地元出身です。
Q:すると遠距離恋愛?
松下:そうです、休暇で日本へ戻った時に出会ってから友人関係を続けていたんですけれど、不便というか彼女もフランスへ来たいというし。4年ぐらい遠距離関係だったのを、結婚してそのまま一緒に戻ってきました。
Q:話を戻しますけれども、そもそもなぜお料理に?
松下:僕は3人兄弟で上に兄と姉がいまして、母はずーっと僕を「商売人にしたい」と言っていましたが、料理が好きだった母は僕が27歳のときに亡くなってしまいました。料理好きの母親を手伝っていた自分としては自然に料理を選んだ、ということでしょうか、理屈なしに、当たり前な感じでした。進路を決める時「調理師学校に行きます」と母に伝えたら「人がお休みしているときに休めない仕事だけど大丈夫?」と聞かれたんですが「大丈夫」だと答えてからずっとこの道を進んでいます。
Q:学校は静岡?
松下:そうです、浜松にあった学校です。そこで2年。
Q:浜松といえば餃子ですよね?
松下:そうですね、でも僕が日本を出た後にブームが来たのかな。ただたまたま浜松には中華が充実していたのかもしれません。けれども自分も若かったので、中華料理の炎がバーっと出る感じ、あの派手さに最初は惹かれただと思います。でも仕事を始めた途中から「あれ、違うな」と感じました。とはいえホテルで仕事をしていた時は名古屋駅と直結するホテルの中華レストランで、高級な材料、フカヒレ、アワビはもちろん熊の手などハイクラスなお客さんを満足させる食材に触れることができました。
Q:それはおそらくバブルの終焉期ですね。
松下:2001年かその翌年、ちょうどワールドカップの時でした。そのときに材料の面白さを知ったんです。色々なところからきた自分が知らない食材を、先輩たちがきれいに準備、調理しているのを見たときに「面白い」と思いました。注文が入ってから、車海老(オマール)を解体して調理する、というような流れはいまだに覚えていて、食材って面白いな、といろいろなものがあることに開眼した感じでしたね。そこからです、僕が材料、食材に興味を持ったのは。でもやっぱり中華はちょっと自分が求めているものとは違うかな、と思ってフレンチの方へ行きました。迷っていたときに調理師学校でもお世話になった今井克宏シェフがただ始めてみる?じゃなくて、手伝いにおいで。暇してるんでしょう?という感じで始めました。
Q:中華とフレンチってどんな違いがありましたか?
松下:うーん、中華とフレンチの違い… 中華は、ファーストインプレッション、口に入れるものの第一印象だと思うんです。でもフランス料理というのは完結型、つまり一皿を食べ終えたときに完結するんですよね。それが面白いと思いました。中華も目でまず見て、口に入れて「美味しい」なんですけれど、フレンチはどちらかというと食べた後に「美味しい」なんじゃないかと思うんです。だから進行形か過去形か(笑)といういうことですか?その違いも面白いと感じました。それから浜野さんと働いた時は「見た目」と「味」だけではなくて、「見て楽しんで全部の味が違った」皿が見た目負けしないことが大切だと教わり、そして日本人が大切にする感覚を学ぶということが自分にとって勉強になりました。例えば色合いですか、浜野さんは花を使うことが多く「ああ、こういう色彩は日本人ならでは」と、ハッとさせられることもありました。以来、皿の中の色には自分でも気を遣うようになりました。トミーさんの場合も、全体が完成されているお皿を作り、真ん中にドーンと主役を置くという感じだけれども、彼の場合にはその美しさがすぐに「わー、綺麗」とこちらに響くということでしょうか。
Q:派手ということ?
松下:まあ派手だし、僕自身知らない味の組み合わせもあるし…
例えば海苔の佃煮と鶏肉を合わせるとか
Q:日本で市販されているもの?
松下:いえ、海苔とみりんと醤油を煮てペースト状にするものを鶏肉の上に塗る、という感じですか。感覚が違うというか、彼の場合には一つずつにすでに味があるけれども飽きない味をそれぞれに見つける、という感じですか。
Q:おそらくトミーさんという人にはタブーというものがない?
松下:そうですね、例えば豚肉とタコを合わせてみたり。まあ今の流行りではありますけれど、混ぜるのが好きです。僕が持っている抵抗を全部取っ払ってくれる人ではあります。元々そういう料理があったのかもしれないんですけれど、仔牛の頭にアンチョビとか、赤い肉に魚を足したりとか…ということをシェフは「旨味」と言ってますけれど、僕の考える「旨味」とは違うものを見つけているのかもしれません。何かと何かを掛け合わせれば倍になる、という感じでしょうか。
Q:掛け算!
松下:そう、味の掛け算をするのが速いんです。本能的な感じです。足すのではなく掛け算というのが面白い、すると倍になる。少し前まで出していたイベリコ豚のソースで「面白いものはないのか?」という話になって、ソースはアジアっぽく魚醤でソースを作ってかけたらどう?という話になったけれども、アジアの魚醤ニョクマムは使えないでしょう。「地中海」だから、ということで探したらイタリアで魚醤を作っている人がいるのを見つけたんです。僕は嬉しくて、すぐに卸問屋がフランスにあったので電話をしました。そして入手した後に「地中海」風味の料理に使った、というわけです。毎回がこういう繰り返しですけれど、楽しいですね。
Q:イタリアの魚醤というのは実際にベトナムの魚醤(ニョクマム)とどんな違いがあるんですか?
松下:気候がまず違うので、臭み自体が違います。色もベトナムのものよりも無色、若干色はついているけれど透明な感じでした。樽に綺麗に塩を振りかけて重石を置いておくだけらしいです。そういうことを発見するのは面白かったです。あとは塩ですかね、フランスでも作っている場所、ゲランドとかカマルグなどには行きましたし、シチリアの塩田も見に行きました。それから今、ポルトガルの業者と取引をしていて彼らがプロポーズしてくれる塩は甘味が違うので、肉にすごく合うんです。クリーミーというか舌触りも全然違うし、なんというのかなあ… 海って場所によって塩の濃度が全く違うと思いますし、その海の近くのものを料理するのならばそこの塩を使った方が面白いんじゃないかとも思います。そのことをポルトガル人業者に話をしたら「良いのがある」と持ってきてくれた塩が全く違う、面白いもので、土地にあった、そこの風土と食べ物に合う塩があるんだという認識が自分の中にできました。こういうのもシェフが何か難題を押し付けてきたときに自分としては「こうなんだ」と反論できるための知識を得るという意味もありましたけれども、何れにしても自分の中に取り込めるのは本当に面白いです。
Q:今トミーさんの3店舗ではどのぐらいの人が働いているんですか?
松下:ここは厨房に限るといま3人です。Hugo&coも3人で、トミーさんのところは星をもらっているので、もっとチームが大きくて5人かそれともさらにという感じです。
Q:お店は全部こういうオープン(キッチン)スタイル?
松下:Tomy&coだけ裏にキッチンが設置されています。でもHugo&coは半分だけオープンです。料理をしているところは見えますけれど、残りは後ろに、という感じでしょうか。Hugoのときにシェフが「カウンターのレストランっていいよね」と言い始めてこのお店は完全なオープンキッチン式でできる?と聞かれたときに「まあやります」と返事をしたら、ちょっとオープンキッチンのレストランに食べに行って勉強してきて、と言われたりして…(笑)
キッチンをオープンにはしたかったみたいで、最初は棚をつけて食器を片付けるみたいな話もあったんですけれど、結局勢い余って全部壊した結果、オープンキッチンはあってもお皿を入れる場所がないとか、作ったお皿を並べる場所をどうする?みたいな課題も残っています。本当はカウンターの淵にいろいろなお皿をおばんざい風に並べたいという案もあったんですけれど….
今はコロナ禍なのでカウンターには座ってもらえませんが、常連さんや料理好きな方にはカウンターで食事を楽しんでもらいたいという気持ちもありました。カウンターはいいですよね、僕も好きなスタイルです。僕はトミーさんから「未来を見ろ、別に俺と長く一緒にいる必要はないし、いつかは独り立ちして俺みたいに」というような話をしてもらっているので、
Q:現状、ほとんど「暖簾わけ」みたいなものですよね?
松下:そうですね、僕は自分の名前を持つレストランを出せれば、と思いつつ子供のことを考えてうーんそれもどうだろう…とも思い、それでもトミーさんとこの先一緒に働いても面白いことがありそうだとか…いろいろ考えているところですね。
Q:2012年からパリにいらっしゃるということは、若い日本人シェフたちが次々とお店を開くという動きを見てこられたと思うのですが、それについては?
松下:僕自身はフランス人のシェフに「こうしてみたら」と言われながら自分、そして自分の理想を探している最中で、すでに店を開いたシェフたちは自分のスタイルを築いたということなので素晴らしいな、と思います。今はまだ自分の引き出しを増やしている状態です。うーん、難しいですね。でも開けた人たちを羨ましく思います。
Q:でも自分のお店を持っている人はみんな大変だとおっしゃいます。
松下:そう、難しいですよね。このご時世だと尚更難しいでしょうし。目立つまでは楽しいんでしょうけれど、持続していくのが大変です。宣伝もして、外交的にならなきゃならないし。僕なんかはまだそこまでの器になっていないと。店を開く人には他人を惹きつける力がありますよね。僕はまだ駆け出しで。ここを任されているのもトミーさんと一緒に仕事をしたからだし。今はトミーさんから与えられた課題を倍返しすることを目標にやっています。
Q:今年の3月から私たちは外出禁止だ、マスク着用だ、というかつてない状況になりましたけれど、ご自身では今年はどんな年だと考えられていますか?
松下:奇妙な年です。でも、家族、人のことをいつも以上に心配するようになりました。チームのみんなのことも心配だったし、何回も電話をかけて「大丈夫だから、トミーさんを信頼して、僕も待っているから戻ってきて」と話をしたり。ロックダウンが解けて、ちょうどお寿司のテイクアウトを始めた日の朝に息子が生まれました。お店の掃除はスー=シェフの子が快く引き受けてくれたので、僕はお寿司をスタートして、2週間半続けたのかな、あの時はお店を存続させなきゃならないという使命でやっていました。自分がやらなかったら、他の子たちが路頭に迷っちゃうし、とりあえずお店を存続させたいという気持ちで始めました。あの時は他の子が出てこれるまで、お店の売り上げを少しでも出してやろう、弱音は吐かない、「俺は疲れたなんて絶対言わない」ってルドさんにも言って。バカンス前にチームのみんなとお酒を飲みながら話をしたら、「シェフが、あっ僕のことですが、定期的に電話で『待っててね』と言ってくれたから店に残った」と言ってくれました。韓国人の子は「そうじゃなかったら国に戻っていた」とも。僕は自然にみんなへ電話をしていたんですね。「大丈夫?」「元気?」「何してるの?」と、そしてスー=シェフの子には「賄いのレパートリー増やしといて」と冗談を言ったり(笑)。反対に彼らからは「シェフが作った賄いのご飯を再現しました」と写真がWhatsAppから送られてきたり。こうしてチーム一人ひとりのこと、そして家族のことをいつも以上に思うようになったし、自分がしっかりしなきゃとも思う3ヶ月でした。
Q:お寿司をやってよかったですね。私もいただいてとても美味しかった。けれどもいきなりお寿司だったのでびっくりしました(笑)。
松下:生まれる直前、そろそろ生まれるかも、と話をしていたときにトミーさんが「お寿司作れる?」と言うので「寿司できるけれど、どうしたの?」と聞いたら「いや、お前が自己完結できる仕事を」と。こんな時だからこそ「スペシャルウィークでTOMOKIが寿司を握りますとプロモーションをかけるから、お前やれる?」と聞かれてもう二つ返事で「やります」と話を決めて、FacebookとかInstagramにアップするものを全部作ってもらって。
Q:あの時の仕入れはご自分で?
松下:ルドさんに頼んだりしました。魚は取り寄せて、その他必要なものはルドさんが買いに行ってくれました。あれは面白かったです。それまで賄いか、トミーさんのところで宴会のようなものがある時だけ僕はお寿司を作っていたんです。例えば誰かが辞めるとか、誕生日などの機会に。久兵衛の方にお寿司を教わった時、レストランで出すお寿司、お弁当用のお寿司、と両方教わったのがよかったです。「外国で生きていくんだったら、これをちゃんと覚えた方がいい。何かあったときに絶対お寿司は役に立つから」と言われて。
松下:そうだったんですね。
PARISTREIZELABというアジア人を特集している方がわざわざ来てくれて、そこでYouTubeに映像も上げてもらったりもしました。
https://www.youtube.com/watch?v=oGvcuMNSnmQ&fbclid=IwAR3xPPnzirQG2c92wOfMjGG8OmtrZpqacyIztpE33f4dg0lLKj3hdpjzwDo&app=desktop
別にお寿司をやりたいわけではなくて、困ったときの最終手段として持っているものなので
Q:最後の切札ということですね。
松下:そんなものですね。
Q:トミーさんは何を最後の切り札として出したんでしょう?
松下:彼の面白いところは、お皿じゃなくて例え紙製の器でもとても綺麗に仕上げることです。テイクアウトでも決して手を抜かない。お客さんが器の蓋を取ったとき「わー!」と思うのはやはり彼のテクニックのすごさがあるからです。ちゃんとガストロノミーのフィルターにかけてテイクアウトも作っていました。32ユーロ と結構な値段なのにいつも売り切れていたみたいです。
Q:コロナウイルスのおかげでレストランも存続が大変みたいですけれど、松下さんのお店を始めトミーさんのお店は3店舗とも残りましたね。
松下:そうなんです、不死鳥だとみんなで言っています。5区にあるHugo&coの方は、観光客が多くて、うちはここの地区の人が多くて、7区にあるTomy&coはオフィスの人が多い。3つとも違う地区で来てくれる客層も違う。でもHugo&coの方は、EUの国境が開いてからは普通に人が戻ってきました。もちろんソーシャルディスタンシングがあるのでいつもの半分しか人は入れませんけれど。うちは昼の20ユーロ だったセットメニューをちょっとやっていけない、ということで28ユーロ にしたんですがそれでも人が戻ってきてくれました。
Q:すぐそばの日刊紙Le Mondeが移転したけれど影響はありませんでしたか?
松下:いや、なかったです。13区の外れの方から来てくださるお客さんもいるし、本当に常連の方々に助けられた面はあります。「開けたって聞いたよ」とわざわざ来てくれた方、お寿司を出す、って告知したらわざわざ買いに来てくれる人もいました。。「美味しかった、またやってよ」と言われて「ええ、またロックダウンしたら」と返事をしました(笑)。
Q:コロナ禍の中でチームを家族のように大切に思い始められたことは良かったですね。
松下:本当にそうですね、彼らのことが頭から離れることはありませんでした。今何してるかなあ、あの子たち?と。トミーさんから「ロックダウンがいつまで続くかわからないから覚悟しておけ」と言われて、その後二人いた見習いの子たちを切らなきゃならないことになった時には申し訳ない気持ちにもなって「こういう事情だから」とちゃんと説明しました。残りの主力の二人の子にも事情を説明して「モチベーションを保つことだけを考えて」と言いました。
Q:韓国人とベトナム人の二人ですね。
松下:そうです。「暇だったら料理の本でも見ておけよ」というような話をずっとしましたね。それからロックダウンの前は僕が言ったことを彼らにやらせていて、少し威圧的だったかもしれないなと反省もしました。だから今は僕がすることを彼らに見せて、それを自分のものとして覚えてもらうことが大切だと思っています。毎日少しずつ何かを覚えて自分のものにしていくこと、なぜならもしかすると店が解散しなければならないということになった場合、人から言われたことだけをしていたら彼らが困ってしまう。
コックさんというのは経験がすごく物を言う職業なので経験をどんどんさせて、色々覚えさせた方が良いかな、と思っています。浜野(雅文)さんがそういう方で、材料を見に農家や塩田、酒造などへ連れて行ってくれたんです。彼は「うちの店にいるんだったら吸収しなさい、あとで役に立つから」という主義です。この度そのことをずーっと思っていました。教える、伝えていくことが大事なんだ、と。言われたことをやるのではなく、理解した上で、自分の中に吸収した上でやる。プロセスをちゃんと説明して理解させなければ難しいな、と思いましたけれども語学の問題もあるので説明が足りないと思ったら絵を描いたりしています(笑)。トミーさんが僕にしてくれていたことを今度は僕が若い子たちにする番です。彼らも僕がそうだったように、普通の若い料理人よりはもっと面白く仕事をしていると思います。聞いてくれたら答えるし、でも聞かれたら答えなきゃならないし、「知らない」とはあまり言いたくないので僕の勉強にもなります。面白いです。
Q:また話を戻しますけれど、もしも数年後にご自身でお店を開くときのイメージ、例えばパリなのか地方なのか、それとも日本なのか、というのはお持ちですか?
松下:パリで、とは思ったんですけれど、難しいなとも思っています。最近パリの近郊も面白いんじゃないかな、と思い始めました。まあパリからアクセスしやすい範囲内ですけれどもヴァンセンヌなんかもいいな、と思いました。パリからあまり離れてしまうと、その土地の人たちが望む料理をまた開拓したりする必要もありますし…
また僕は一人でやろうと思っているので、今の店のようなオープンキッチンはいいなとも思っています。でも僕ら料理人の仕事はお皿ができたらおしまいで、あとは良いサービスをしてくれるスタッフが必要です。僕は料理の全てを熱くだせばいいとは思っていません。だってあまりにも熱いものを口に入れてお客さんがお皿に戻してしまったら、ね。なので、サービスをするスタッフにはそのことを説明し、お客さんにもちゃんと説明してね、とお願いしているし、お皿はこうして置いて欲しいとも指示を出します。サービスは大変です、お客さんのケアから注文をとる、お酒やお水を出す、料理のこともわかっていて説明をする、とすることが山ほどあります。今サービスをしてくれている男性はHugo&coの時から一緒なのでそういう意味では僕の料理を出すコツは掴んでくれています。
Q:お料理をしながらお客さんの反応を見ていらっしゃる?
松下:そうです。残ってきたお料理には「どうして?」というような質問を何気なくサービスの子にしてもらっています。お客さんが残した料理を理由もわからずに捨てるなんてことはとてもできません。「お腹いっぱいだって」と言われれば、「仕方ないね」とこちらも納得できますけれども。
Q:松下さんにとって、お料理とはなんですか?
松下:… 難しいですね… 「料理」ですか?一生の勉強です。自分が面白いなと思うのは、家で食べていたものとレストランで食べるものは違うじゃないですか、そういう「違うもの」が世界中の誰にでもある。例えばフランス人が僕に「寿司は毎日家で食べていたの?」と聞くと僕は「違うよ」と答える。「寿司はお店で、そして何か祝事の時に食べていた」というようなことを突き詰めていくと、料理というものは一人の人間が生きている間に全て食べられる、そして作り終えられる領域のものではないんです。一つの料理があったとしたら、そこからの派生、そして個人の捉え方が違うので、そう考えると常に発見を、面白いものに出会いたいし、それが勉強だと思えば、発見をしたときに自分のためになると思えて経験として重なっていく。それがすごく面白いな、と思います。去年、友達に誘われて南イタリアのアドリア海側に行きました。そこでは知らない食材はもちろんだけれども、知っている食材も僕が知ってきた使い方ではなくて、しかも形の違うショートパスタにしてもそれぞれに合ったソースがあり用途があるということがわかって新鮮でした。地元の人たちが行く大衆的なお店に行っても、もっとガストロノミーな店に行っても、仕上げも味も違うし、家庭料理にもまた別の面白味があって、楽しかったです。こういうことがまた自分の引き出しになってきますよね。またうちで働いているベトナム人の子も「家で作っているものと本のレシピは違うけれど、僕は家のものの方が美味しいと思う」という発見をする、それも彼にとっては一つの引き出しになるだろうし、まあ僕ら料理人は一生勉強をしているようなものだと思います。
Q:よく「フランス家庭料理」とか「フランス伝統料理」などを売り言葉にするレストランがありますよね、ご自身のレストランはどのような料理になると考えていらっしゃいますか?
松下:創作ですかね、トミーさんと同じようなスタイルなのかな。自分が培ってきたもの、見て味わってきたものとを比べながら良いものを取り入れるということなのでしょうか。良いものは積んできた経験を生かしてさらに良いものにしていく。
Q:例の掛け算ですね。
松下:そうです(笑)。足し算じゃなくて掛け算です。
Q:39年間生きてきた中で、とまでは言わなくても渡欧してきてから一番美味しかったものはなんですか?
松下:いまだに思い出すのはポール・ボキューズさんの店で食べたものですね。僕はスイス、ローザンヌから電車に乗って先輩に連れていってもらいました。200ユーロ だと言われて「行きます!」と。衝撃的でした。ボキューズさんは厨房にいらして「日本人か!?」と問われて一緒に写真を撮らせてもらいました。僕はまだ三つ星のレストランには2軒しか行っていませんが、本当に記憶として残っているのはやはりボキューズさんの料理です。もう一軒はミシェル・ブラスさんのお店ですが、あそこで印象に残っているのは料理というよりも内装の斬新さの方かもしれません。お客さん同士はパーテーションでしか区切られていないのに、まるで個室にでもいるようなゆったり感がありました。4時間ぐらいかけて食事をとるんですが、あれもすごい経験でした。
僕が世話になって、とても尊敬する今井シェフは20代、若い時にボキューズさんのところで研修して実際にも働いているんです。だから「行っておいで」と言われたこともあったんですが、今考えてみればなんだかボキューズさんと今井さんには類似しているところがあるんです。ボキューズさんのところへ行った後に、やっぱりフランス料理のガストロノミーというものを知りたいと思って、一から始めることになったというわけです。
Q:会ってみたいシェフはいますか?
松下:ピエール・ガニエールさんはTomy&coに来てくれて、写真も一緒に撮らせていただいたんですが、とても気さくな方で驚きました。しかもトミーさんから聞いたんですが、外出禁止期間中にトミーさんのところまでマスクをつけたガニエールさんがテイクアウトも買いに来てくれたらしいです。それからデュカスさんもTomy&co時代に来てくださったので、写真を撮らせてもらいました。とにかくこれまで本や映像でしか見たことがなかったすごいシェフとすれ違えるとは思っていなかったです。そうだな、地方のシェフのところへも行ってみたいです、例えばマーク・ヴェラさんの元でハーブを勉強するとか。まあ地方は住み込みなので結構大変ですけれど、僕も地方にいたときは朝の7時前から大量に届いたセップ茸やジロール茸をずーっと掃除して「10時までに終えろ」と言われたときには気が遠くなる思いをしています。だから地方でのキノコの季節は嫌いでしたね。あとはサヤインゲンの季節もです。
自分の店を開くかどうかの話に戻ると、やはり自分を見せていかなければならないのは大変ですね。トミーさんも「これから銀行に行ってくるから」と雑誌などに載った資料をかき集めて融資の話をしにHugo&coを開ける時駆け回っていましたし、「銀行の質問に答えられないとあっちは金を貸してくれないから」と新しい店のコンセプトを書類にしていましたし。
Q:そうですね、オーナーシェフというのは大変ですよね。
松下:オーナーシェフは大変ですが、このお店は元々店の権利を持っていたルドさんがいるので、共同経営ということになっています。でもルドさんがお客さんと楽しそうに話しているのをみながら、客数を回すレストランと、お客さんを楽しませるレストランの兼ね合いが難しいなあ、と思っている最中で、どうしたら両立させられるか、というのが課題だと思います。
Q:今日は面白いお話をありがとうございました。
Marso&Co
Adresse : 16 rue Vulpian, 75013 ParisTEL : 01.4587.3700
URL : https://tomygousset.com/marso-and-co
月-金、12-14h /19h15-22h 土日休