エミール・ガレに始まるナンシー派工芸の至宝
ナンシー派美術館
1871年、普仏戦争の結果アルザスとロレーヌの北部はドイツ領になった。ドイツに併合されるのを嫌った企業や文化人がフランスに残ったナンシーに大挙して移住したため、ナンシーの産業文化は大きく発展した。工芸界では家業を継いだガラス工芸家、陶芸家、家具師のエミール・ガレ(1846-1904)、ルイ・マジョレルらの若い世代が、協力して博覧会などで発表の場を作ろうとしていた。
こうして1901年、ガレを会長に「ナンシー派」が創設される。別名を「産業芸術地方同盟」といい、ロレーヌ地方の産業と手工業を振興させ、威光を放つ芸術文化、芸術産業を育むための協同組合だった。
この派の特徴は植物学に造詣が深いことで、全員が著名な園芸家ヴィクール・ルモワンヌやガレが創立した「ナンシー中央園芸協会」の会員だった。会は植物に関する本に「エミール・ガレ賞」を授与するなど、今でも活動を続けている。
美術館はナンシー派のメセナで百貨店の社長だったウジェーヌ・コルバンの家を改装したもの。3代にわたるマジョレル家のコーナーには祖父オーギュストがコパールを使ったワニスでアジア風に装飾したピアノ、ジャックが描いた父ルイの肖像がある。
最大の見どころはガレで、作品の美しさだけでなく、ガレの人間性を知ることができる。画家ヴィクトール・プルヴェのデッサンを基に三重にガラスで深い暗黒を表現した「黒の人」と題する花瓶は政治的な作品。フランスの歴史的な冤罪事件「ドレフュス事件」で、ユダヤ人陸軍大尉ドレフュスを有罪とした判事や軍人を「真実を知っているが明かさない」黒い人として批判した。ガレはフランス人権連盟が出来た翌年にナンシー支部を作るという人権擁護活動家でもあった。
ガレが注文を受けて作ったベッド「夜明けと黄昏」は(写真右)、ヘッドボードに頭を垂れた蛾(が)、フットボードに頭をつき合わせたオスとメスのカゲロウをあしらった。卵を抱えた二匹のカゲロウは生(夜明け)を表し、夜の蛾は死(黄昏)を象徴している。ガレは数々の万国博覧会で賞を総なめし、これを遺作として58歳で亡くなった。
◎Musée de l’École de Nancy
ナンシー派美術館
36-38 rue du Sergent Blandan 54000 Nancy
Tél:03.8385 3001 月火休、 10h-18h。6€/4€。
https://musee-ecole-de-nancy.nancy.fr
バス10、11、16番線が国鉄Nancy駅とPainlevé停留所を結ぶ。
140年にわたるドームのガラス工芸を一挙に鑑賞
ドーム・コレクション
エミール・ガレと並ぶナンシー派を代表するガラス工芸家、ドーム兄弟。1793年に開館し、ルネサンスから近代の絵画や彫刻を有するナンシー美術館には、世界最大、950点に及ぶドームのコレクションがある。展示室にはドーム社創業1880年代から今日のものまで300点が、年代順に並べられている。
ドーム兄弟の父親は公証人で、ガラス生産とは無関係だった。住んでいたビチュの町が普仏戦争後ドイツ帝国に併合されるのを逃れナンシーに移住し、経営難にあったナンシーのガラス工場を買ったのが、今日まで続くドーム社の始まりだ。
事業に兄オーギュスト、そして特に弟のアントナンが参加し始めると、日用的なものから、ガレのような芸術的なガラス器作りへと移行する。ナンシーの建築物を色鮮やかなステンドグラスで飾ったジャック・グリュベールやアンリ・ベルジェらが花瓶などをデザインすると、シカゴ博覧会やパリ万博などにも出展するように。
ガレもドーム兄弟も工場を持ち250〜400人ほどを雇う企業の経営者だ。芸術性の高い一点物だけではなく、それに似た量産品も作った。ドーム兄弟はフッ化水素酸を使ったエッチング方法や、酸を使って鮮やかな色を出す新しい技術を取り入れ、新しい意匠を施しガレと張り合った。とはいえ、ガレが1904年に亡くなるとガレの会社は勢いが衰えたのに対して、ドームは家族のメンバーたちが時代とともに流行を取り入れ、第一次大戦後にはアール・デコへと舵を切る。豊かな進取の気性で、ドームは現在も生産を続けている。
◎Collection Daum (Musée des Beaux-Arts de Nancy)
ナンシー美術館 ドーム・コレクション
3 pl. Stanislas 54000 Nancy Tél:03 8385 3001
火休、10h-18h。7€/4.5€。
https://musee-des-beaux-arts.nancy.fr