フランス北東部の町ナンシーにあるアール・ヌーヴォー建築の傑作「マジョレル邸」が修復され、一般公開になった。「ナンシー派」といわれる、この町に生まれたアール・ヌーヴォーの家具や金属工芸家ルイ・マジョレルの邸宅だ。
1871年、フランスは普仏戦争で敗戦し、アルザス地方とロレーヌ地方モーゼル県を失う。しかし、それを機にナンシーには、ドイツ領となるストラスブールやメッスのような主要都市からフランス国籍であることを選ぶ人々、企業や富が流れ込んできた。愛国心、郷土愛を帯びた「地元の産業と直結した工芸・芸術教育と文化の振興」を謳うナンシー派がおこり、すぐれた工芸品や店舗、住宅などの建物がつくられた。ナンシーには、国の歴史記念物に指定されたアール・ヌーヴォー建築が53棟ある。
この運動の中心となったエミール・ガレは「私の源は森の中に」とアトリエの入口に記した。この地方の植物や花々にインスピレーションを得たナンシー派。その粋を集めた美術館や邸宅を見学し、町を歩き、さらにアール・ヌーヴォーのブラッスリーで郷土料理を味わえば、文化都市ナンシーをさらに満喫できるだろう。(集)
取材・文:羽生のり子、編集部
19世紀末、ヨーロッパの諸都市で花開いたアール・ヌーヴォー。フランスでこの芸術様式を牽引したのはパリとナンシーだった。植物研究においても有名だったエミール・ガレが中心となり、若手工芸家たちが「ナンシー派」を設立。アザミなど、地元の草花をモチーフにした優雅な装飾工芸品や建築が人々の心をつかんだ。
今回オヴニーは、ナンシー派の中心人物の一人、ルイ・マジョレルの私邸が新装オープンしたのを機に、ナンシーの町を歩きます。
ナンシーに蘇った、アール・ヌーヴォーの粋を集めた邸宅
マジョレル邸
この2月、4年間の修復を経てオープンしたマジョレル邸は、ナンシー初の「丸ごとアール・ヌーヴォー」の建物だ。ガラス、家具、陶芸、金属工芸、絵画の分野で活躍するナンシー派の作家たちが随所に匠を凝らした結晶といえる。華やかななかにも、パリのアール・ヌーヴォーよりも装飾がシンプルで、抑えた味わいがある。
当家の主人ルイ・マジョレル(1859-1926)の父オーギュストは陶芸家で高級家具職人。日本的な作風の家具で成功した企業家でもあった。ルイは画家を目指してパリの国立美術学校に進んだが、20歳の時に父が急死したためナンシーに戻り、弟ジュールと家業を継いだ。エミール・ガレの影響を受けた兄はアール・ヌーヴォーの家具を製作、弟は市場開拓に精を出してパリに店を開き、ロンドン、ベルリンにも支店を開設した。
1898年、ルイ・マジョレルは、弱冠26歳のパリの建築家、アンリ・ソヴァージュに自宅の設計を依頼し、内装を自ら施した。1901〜02年建設の3階建てで、1階に食堂、居間、テラス付きの部屋。2階が夫妻と息子の寝室、ドレッシング、浴室。3階が使用人部屋とマジョレルのアトリエだ。
部屋ごとにモチーフのテーマがある。例えば玄関のモチーフは平たい実をつけ繁栄を象徴する植物ルナリアで、金属のドア飾りと壁の模様に使われている(写真上)。傘立ては金属工芸家でもあったマジョレルの作品。食堂のモチーフは麦の穂で、ドアの取手や家具に文様が使われている。
中央には、パリの建築陶芸家アレクサンドル・ビゴの陶製暖炉がそびえる(このページ冒頭の写真)。スイカを描いたステンドグラスはナンシー派のガラス工芸家ジャック・グリュべールの作。テラス付きの部屋は一家が住んでいた当時の形に戻した。外に張り出した、うねりが力強い陶製のテラスはビゴのサイン入りだ。
マジョレルは自邸の内装を自社のカタログに載せ、自宅で使っていたのと同じ家具を販売した。今回の修復では、家族の写真アルバムとともに、そのカタログや雑誌に載ったマジョレル邸の写真が役に立った。展示家具の大部分はもともと屋敷にあったものだ。屋敷はルイの死後、画家になった一人息子ジャックがモロッコに住むために1931年に土木省に売却。2003年にナンシー市の所有物になった。主人を失ったマジョレルの会社は1931年に閉鎖した。
◎Villa Majorelle
マジョレル邸
1 rue Louis Majorelle 54000 Nancy
Tél:03.8385.3001 月火休。6€/4€。マジョレル邸+ナンシー派美術館:8€。 個人の見学は14h-18h(全予約制)https://villamajorelle-nancy.tickeasy.com/fr-FR/billetterie
国鉄ナンシー駅からは徒歩で15分ほど。