Q:個性的なお友達はどんなことをしていた?
滑浦:たとえば雪の降った後、山の上の学校だったんで雪がたくさん積もっている。真っ白な校庭の中を家から持ってきた海パンを履いて泳ぐというようなことを、パフォーマンスとしてやる奴がいたり、遠足だったか移動教室だったかで行った場所の池で制服のまま泳いだりとか。あの時は他校の生徒もいたので、先生たちが騒ぎや喧嘩にならないように仁王立ちで池を囲んでました。結構な見ものでしたね。
Q:へえ。彼らは今何を?
滑浦:介護をしている人もいれば、車の整備をしているのもいる。他には起業しているのも結構いますね。僕と同じように料理人になっているのもいます。
Q:料理人もいるんですね。
滑浦:うん。ただその人は全然そんな感じじゃなかったんです。最初は設計の仕事をしていて、料理も面白いな、と思ったみたいです。デザイナーになった人もいます。
Q:ほとんどの人が神戸で活動を?
滑浦:一度外に出てから神戸に戻ってきたのもいますけれど、神戸で何かをしたいと思っているのが多いですね。靴職人になったり、帽子のデザインをしたり。女の子はデザイン関係の仕事が多いのかな。高校時代の友達で今でも付き合っているのが結構いて、彼らから僕は影響を受けていると思います。持っている個性を生かしたいとみんな思ってきたので、勤め人になっている人はおそらくほとんどいないです。
Q:じゃあ、神戸に戻るとみんなで集まる?
滑浦:たまに。でも面倒くさいですよね、昔の話をするのって。
集まっても僕のことを知らない人は結構いるんじゃないかな。
Q:地味だったから(笑)。
滑浦:自分では結構個性的だと思っていたんですけれど。
Q:それで、高校卒業後は?
滑浦:自分にできることを考えた時に料理をしたいと思いまして、辻調(辻調理師専門学校)に行きたいと親に話をして
Q:大阪の?
滑浦:そうです。それで1年間辻調に行きました。
Q:専門はフランス料理?
滑浦:いや、僕はまだ自分でも何をしたいかがわからなかった。しかもフランス料理って実習で作ると上手く出来ないんですよ。和食はレシピ通りに作れば結構美味しく出来ます、しかも知っている味だし。中華もだいたい美味しくできる。イタリアンがその当時結構流行っていて、簡単に作れるしとても美味しかった。でもフランス料理というのは簡単に作れるものが一つもない。おまけにレシピ通りに作っても、大して美味しくないので「あんまり好きじゃないな」とその時は思っていましたけれど、とりあえず洋食をやっていた、まあイタリアンでも将来はやろうかな、という感じでしたね。でも流行っていたので、イタリアンに行くのも実は嫌だった。わかりますか?
Q:みんなと同じ方向を見たくない。
滑浦:そう。本質をやっぱり見たいんです。さっきのスクランブルエッグの話と同じで、何が違うのか?何がベースにあるのか?ということを自分は見たいのだと思います。だからフランス料理をやったのかもしれない。
Q:いつの時点でフランス料理を、と思ったんですか?
滑浦:やっぱり食べた時でしょうね。
Q:どこで最初に?
滑浦:最初に食べたのは、実はフランスでなんです。本当のフランス料理を食べたのは。調理師学校の研修旅行で初めて海外に来たのかな。全然味もわかりませんけれど、何軒か三つ星レストランに、フランスだけじゃなくてイタリアとかスイスにも行きました。
Q:すごいですね。学校でそんなにたくさん回るんですね。何日間ぐらいで?
滑浦:10日ぐらいだったと思います。すごいハードでした。三つ星を3つぐらい、二つ星を同じぐらい。でも、三つ星よりも二つ星の方が美味しかった。なぜでしょうね?大勢で行くと、三つ星レストランというのは手を抜くんでしょうか?
Q:わからないけれど、二つ星というのはまだ上を見ているから、ということはあるかもしれないですね。
滑浦:すごい数ですよ、30人ぐらいの学生と先生なので大きなテーブルになる。まあ三つ星の定義というのはないわけですが、そもそもレストランというのは味の評価だけだけではないと思います。味だけでということならば、何も毎年ガイドを出す必要もない。やっぱり波を作る、流行を作るというのが醍醐味であって、そこに星をあげないのであればミシュランの存在意味すらないかもしれない。新しいものが出てきて、それを否定していたらダメなんです。まあ、ミシュランの悪口を僕はあんまり言ってはダメなのかな、もしかすると来るかもしれないですから(笑)。
Q:それでフランス料理を初めて食べて、面白そうだと思ったわけですか?
滑浦:そこに何かあるんじゃないかと思ったんです。やっぱり料理のしっかりしたベースがあって、当時はそれが何だかはわからなかったけれど知りたかった、ということが大きかったんだと思います。イタリア料理というのは、作るのも簡単だしアイテムもそんなにたくさんはない。
Q:フランス料理に比べれば確かに。
滑浦:レシピというのがちゃんとあるのが料理と当時は思っていましたから、学校で進路を考えるときにフランス料理をとりあえず勉強しよう、と思いました。ただ実地が好きだったので、進学というよりは実際に現場へ行きたいと思ったんです。
Q:料理学校の後に進学という手立てもあったんですか?
滑浦:1年勉強した後に専門課程というのもありました。フランス校へ行く人もいたし、フランス料理をやりたい人はそういう方法を選んでいました。授業は好きでしたけれど、とにかく仕事をして腕を試したいと思ったので現場を希望しました。
Q:その現場というのは自分で見つけた?それとも学校から斡旋された?
滑浦:学校に求人が来て、好きなところへ願書を出すんですけれど、先生はホテルを大体勧めるんです。僕も騙されてホテルへまず行きましたね。
Q:神戸の?
滑浦:騙されて、というのは語弊があるかもしれませんが、神戸だからということで決めました。
Q:神戸は日本でもフレンチといえば、という街ですし。
滑浦:うーん、やっぱり華やかな印象はありますよね。だから神戸のホテルに入りました。
Q:そこでフレンチ、というか洋食を?
滑浦:そこで洋食に入ったんですけれど宴会料理に配属されて、あんまりすることがないんです。仕事がない、というか忙しいんですけれど、料理を作っている感覚は持てなかった。でもそこで勉強をさせてもらいました。勉強をしないと何にもしないことになってしまうので、いろいろなことをやりました。
Q:ご自分で仕事を作ったということですか?
滑浦:そうです。パンを焼いたり、お菓子を作ったり、とにかく貪欲に仕事をしました。朝は始発で行って、フォンドヴォーの仕込みをする、毎朝です。すごく辛いんですけれど、手伝っていました。自分が係じゃないのに朝行くと食材を触れるので、力仕事でした。
Q:骨を叩き割る?
滑浦:すでに切ってはありましたけれど、2mぐらいの板に並べてオーヴンに入れて骨を焼くところからです。それから野菜を切ってミルポワ(香味野菜)と一緒に、人が入るくらいの寸胴鍋3つぐらいに入れて毎日火にかける。それを1週間ぐらい続けるんです。ただ、それが美味しくないんですよ。
Q:美味しくない(笑)!?説明をお聞きするだけで美味しそうだと思ったのに。
滑浦:美味しそうでしょう?美味しいだろうと僕も思ったんですけれど、ちっとも美味しくない。
Q:何故でしょう?
滑浦:たぶん取り方が間違っているんです。
Q:私は「ほお、宴会料理でもすごく手をかけているんだな」と感心しながら聞いていました。
滑浦:でしょう?でもちっとも美味しくないんです。
Q:素晴らしいオチを作っていただきました(笑)。
滑浦:どうすれば美味しいのか?と後でいろいろ考えて、少量で取った方が美味しいんじゃないかという結論が僕の中ではできています。仔牛の骨とか筋を小さく切ったものなんて、冷凍ですよ。冷凍のものを焼いて、手間かけてフォンドヴォーを作ってもね。
Q:でも作っていらした方はそれが「正しい」と思ったわけですよね、エスコフィエの本に書いてあったとか?
滑浦:そうそう。今は自分たちじゃなくて業者がやっているかもしれないです。たぶん美味しくない、ということに気づいたんじゃないかと(笑)。結論として、僕自身はフォンなどはあまり取らないけれども、もしかすると無駄な仕事かもしれないと思いました。
Q:残念ですね、そんなに手間暇かけて作ったものが美味しくないと。
滑浦:でも仕事をしているという自覚が欲しかったので、始発に乗って行きましたね。
Q:ご自分で仕事を作らなきゃならなかった、ということは厳しい職場ではなかった?
滑浦:厳しいところは厳しいですけれど、僕みたいに努力をしている人間に対しては誰も何も言えないんですよ。何やっても怒られない。まあ僕にとってはいい職場とは言えなかったですね。教えてもらうことがあまりなかった。
Q:そこにはどのぐらいいたんですか?
滑浦:5年か6年いました。
Q:結構長い間。
滑浦:宴会は最初の1年足らずで、そのあとはレストランと言ってもコーヒーショップとか、フレンチと言っていてもちょっと違うな、という店での仕事でした。
Q:するとまだ本質を突き詰められないまま5-6年が過ぎ、そのあとはやっぱり本場フランスへ、ですか?
滑浦:そのあとは、先輩がシェフで働くというので神戸のその店について行ったりもしました。結局その店には2年ぐらいいましたけれど、何か違うんですよね。その時代は料理本が好きで、ロビュションのでっかい本とかデュカス、エルメの本など色々買いました。でも原書、フランス語なんですよ。なのでフランス語を習いに行った。とにかく自分でなんでも決めてやらないと誰も教えてくれない。自分で道を切り拓くしかない。僕は原書、フランス語で書いてあるレシピが好きだった。なぜかというと訳してあるものは違うと思ったんです。訳したものから作ってもうまくできない。辻調が出している本なんかでも間違っているんじゃないの、と思うんですよね。レシピにしても、ちょっとした分量にしても、ニュアンスが違うというか訳し方がまずいんじゃない?と思ったりします、今でもです。完全な間違いではないけれども「そうじゃないんだけどな」みたいな。とにかくフランス語のレシピは集めました。
Q:集めて自分で試してみた?
滑浦:そうですね。最初はお菓子、というかデザートが好きでした。ガトー的なものです。自分で材料、パーツを組み立てるのが好きで、しかも綺麗にできるものが好きだったから結構色々試していました。
Q:お菓子って、分量をきちんと計らないとうまくできないですよね。
滑浦:僕は、レシピはすごく守るんです。色々なレシピを比較すると違うのもあるけれど、全く同じのもある。お菓子でもシュー生地一つをとってみても分量が違うレシピがある。両方で作ってみると、どちらでも出来るんです。何が違うんだろう?と思った時に、結局レシピの本質というのは分量ではないかもしれない、という結論に至ります。だったら技術だろうか?と思うと、ある本には「木べらで混ぜる」と書かれていて、木べらじゃなきゃ美味しくできないのか、とこちらとしては疑問を持つわけです。色々考えた挙句、レシピというのはそれほど重要ではなく、もしも自分で素材の本質を知っていたならば、レシピ通りじゃなくても美味しいものが自分で作れるんじゃないかって思いました。だから今、色々なレシピを読んで「ミキサーで混ぜる」と書いてあっても「そうじゃなくても出来るよ」と思ってしまう。
Q:最近のお菓子のレシピを読むと一事が万事ミキサーを使うと書いてありますよね。
滑浦:昔マドレーヌを仕込んでくれと言われた時に、分量を量ってミキサーへ入れようとしたんです。そうしたら「手で混ぜろ!」と言われたので木べらで混ぜて「ミキサーじゃなぜダメなんです?」と聞いたら一言「ダメなんだ」と言われたので、今でもマドレーヌは木べらで混ぜて作っています。なぜか?は未だにわからないですけれど、ミキサーじゃダメなんでしょうね。
Q:いや、きっと理由はあるんでしょう。確かに「ミキサーを使うと楽だし、卵は簡単に立ちます」とみんな言いますけれど。
滑浦:いや本当は、卵は立っちゃダメなんですって。「手でこうしてかき混ぜると空気が入って…」というように、何故?の理由を僕はいつも探してきました。本質を知っていないと意味がない、レシピ一つをとってみてもです。色々な人がレシピの本を出していますけれど、その中で本質をわかっている人がどれだけいるか。
Q:エルメさんの大きな本はうちにもありますが、あのレシピ通りに作っても実際にエルメさんが作るものとは雲泥の差だろう、と思います。
滑浦:エルメの本は僕も試しました。最初の本はレシピが結構デタラメで、Fraisier(フレジエ=日本のショートケーキに似た、いちごのケーキ)をレシピ通りに作ったらすごく甘くなって「何か違うぞ」と思った。日本語に訳されていたエルメのいろいろなフレジエのレシピを読みながら、書かれているものとは違う要素がバタークリームにあるということに気づいて、いろいろ試しました。
Q:で、結果は?
滑浦:結構美味しいのができるようになった。今の店ではあまり作りませんけれど、好きなお菓子なので前の店では結構作っていました。エルメのレシピで作ると本当に美味しくできたんです。今、エルメの店のフレジエを食べても、僕のフレジエの方が美味しいと感じるんじゃないかな(笑)。本質を知ることだと思います。何故バタークリームを使うのか、それが重くなってもいいのか、でも軽すぎちゃダメだろう、とかね。
Q:料理本を集めていろいろ試し、フランス語も学びに行く。そろそろフランスへと思っていた?
滑浦:いや、どうでしょう。もともとお菓子が好きで、作るのが好きだった。パンも好きで、知り合いの店に教えてもらったりもしました。そういうことがフランスへ来た時にとても役立ちました。
Q:お菓子とパン?
滑浦:そう、お菓子とパンを知っているということ、そしてチョコレートも作れるということでみんなから重宝されました。今までやってきたことが身になったな、と感じました。知っていたからこそフランス人と一緒に働いてさらに知識を深められた。本質というか基本である、卵やバター、砂糖などを深く知ることができた。
Q:フランスにいらしたのはいつですか?
滑浦:1999年です。知り合いに紹介してもらってニームNîmesの大きなレストラン、(Le) Lisita リジータという店に行きました。
Q:フレンチですか?
滑浦:そうです。できたての店で、シェフがベルナール・ロワゾーの店で経験を積んだ人でした。シェフ・パティシエがトロワグロの店でシェフをしていたすごく仕事のできる人で、最初は違う見習いがついていましたが「使えない」ということで僕が彼の下につきました。僕が意外に仕事ができたので、いろいろなことを教えてもらって、技術を学ばせてもらいましたね。本当は料理を勉強したいなと思って行ったんですが、半年ぐらいは彼の下でデザートを。デザートにしてもアラカルトで10種類ぐらいあって、それを形にするためにはいろいろなパーツを準備しなければならない。すごく忙しかったです。
Q:リジータは大きなお店だったんですか?
滑浦:そうですね、100席ぐらい。テラスなどを全て使うと100以上ありました。
夏は最高でした。居心地は良かったです。
Q:お知り合いの紹介、ということはワーホリですか?
滑浦:いや、そういうことに僕は疎くて。でも、ヴィザをもらうのは難しかったんだと記憶しています。行けばなんとかなると思って最初は旅行者のヴィザで、その後店側が研修ヴィザというのを取ってくれて、そのあとは何度か延長をしました。
Q:半年ぐらいデザートにいて、そのあとはお料理へ?
滑浦:肉や魚を焼いたり、いろいろなことをさせてもらいました。ソースは二番のシェフに見習いとして一緒にやらせてもらいました。
Q:その時点で言葉の問題は克服できていた?
滑浦:それがもう、全然ダメで。勉強していたのに、通じないんです。何でかはわかりませんけれど、たぶん僕は喋っていなかったんでしょうね。聞くのは大体わかっていたんですが、僕が喋らないから向こうもわからない。何か喋っても全然違うことを言っていると思われたり。そういう意味でコミュニケーションが取れていなかった。でも、そうしているうちに半年ぐらいしてなんとか。
Q:それでリジータには結局どのぐらいいたんですか?
滑浦:1年ぐらいで一度日本へ帰りました。でも大した仕事もなくて
Q:東京?
滑浦:神戸です。あまりいいところもなくて、結局もう一度フランスへ戻ろうかなと思って電話をしたら「すぐに来てもいいよ」と言うので
Q:リジータが?
滑浦:うん、だからまた行こう、と。結局紙をとってくれると言われたんですが取れなくて、しばらくいてまた日本へ戻りました。でも、日本へ戻ってもやっぱり未練があるんですよね、だから違う店へ行こうとあちこちへ手紙を書きました。でも、日本から手紙を出しても大した返事が戻ってこない。「ヴィザがないとダメ」とかね。ヴィザがないのでなんとかしてください、とこちらは思っているのにです。だったら3ヶ月ならば誰にも迷惑がかからないので、研修でとりあえずいろいろ行ってみようと何軒か回りました。まあ研修なので、大した仕事はさせてもらえませんでしたが大きな店にも行きました。
Q:地方ですか?
滑浦:そうです。
Q:パリには興味がなかった?
滑浦:なかったですね。地方の料理やジビエなどに興味を持っていたので、ジビエで有名な店に行ったりしました。
Q:この時点でもう30歳ぐらいですか?
滑浦:32-3歳ぐらいです。もういい加減に研修もやめようと思いました。学ぶことがもうない、というかこちらが教えなくては行けない立場になってきた。若い子に何かを教えなきゃならなくなってきたのかな、と気づいた。だから日本へ戻ってシェフの仕事をしよう、と思ったのが2003年か2004年のことでした。とはいえまだこちらでやりたいなとは思っていました。
Q:戻って働いたのは神戸のお店?
滑浦:結構大きくて有名な店でした。老舗のフレンチだったんですが、ブライダルをする、と店から言われて「ブライダルかぁ」とがっかりしました。僕は、ブライダルって嫌いなんです。やる気がしないんですよ。なぜかわかりません。食べる人たちは(店にお金を出す)お客さんのお客さんなんですよね。食事を楽しみに来ている感じでもない。まあ仕方ないですよ、ブライダルに招かれて来る人たちですから。
Q:親戚のおじちゃんおばちゃんたち。
滑浦:そう。なんかちょっと違うぞ、初めてフレンチを食べる人たちにガストロノミーを出してどうする?本当は食べやすいもの、わかりやすいものを出さなきゃいけないんじゃないのか、と思っていました。で、結局辞めました。
Q:やらなかったんですか?
滑浦:途中までは、ただし大改装をしてブライダル一本で行くということになった時に辞めました。それで、少し時期が早いとは思いましたが自分で店を開くことに。34歳の時です。自分が思うような料理を作って出したかった。準備を始めてから半年ぐらいで開きました。
Q:神戸のお店の規模はここと比べてどうでしたか?
滑浦:18席ぐらい、ここよりも少し小さかったけれども客席に大きく余裕をもたせていました。
Q:初めてのご自分の店というのはどうでしたか?思っていた料理はできましたか?
滑浦:そうですね、食材もいいものが揃えられたし、魚を自分で買いに行くのが好きでした。 中央市場へ行って、魚屋と話をして今美味しいと言われるものを仕入れる。魚を見て、これを何に使おうと考える。横では寿司屋などエキスパートたちがいて、彼らも仕入れをしている。彼らの話を聞きながら、知識を自分のものにしていくというのが楽しくて、いろいろな人と知り合いにもなりました。お寿司屋さんとか和食の大将とか、親方とか、そんな人たちと肩を並べていると一緒に何かをしている気持ちになりました。
Q:作っていらしたのは、フレンチですよね?
滑浦:ガストロノミーのフレンチです。
Q:よくフランス料理にはフランスの食材が合う、と言う言葉を聞きますが、滑浦さんはどうでしたか?
滑浦:日本の魚はやっぱり日本料理に向いていると思います。硬くて、どうしてもソースに馴染まないけれどもソースがないと食べられない。魚の身の質には、タイプにすると3つぐらいあります。たとえばカサゴのように身がポロポロっと崩れるやつと、鯛みたいに身がガシッと筋肉質なやつと、もう一つは金目鯛のように柔らかいんだけれど旨味があるもの。その3種類ぐらいあって、まあどれも難しいんだけれど面白いのは金目鯛なんですよ。ソースに合わせるのは難しいんですけれど、なかなか面白い。まあ8年も9年もやってると色々試しながら何がいい、何が面白いというのがだいたいわかってくる。同時にパターン化されてもきますけれど。
Q:お肉はどうでしたか?
滑浦:肉はね、ほとんど僕は牛肉を使いませんでした。
Q:まあ、牛肉の本場だというのに。
滑浦:美味しい牛肉はありますけれど、たまに使うぐらいでした。牛はヒレまたはラムシンという柔らかい部位の肉にしか興味がありませんでした。なぜかというと他は脂っこくて美味しくないから。焼肉にするともちろん美味しいですよね、ヒレなんかは逆に焼肉には合わない。でもステーキにするならばヒレよりも美味しいものはない、と思っています。
Q:お野菜は?
滑浦:野菜は中央市場や近所の直売所などで仕入れました。実家でフレンチの野菜を作れ、というのもね。でも実際にアーティチョークなどは作ったりもしました。でもね、アーティチョークってすごくでかくて場所を取る。しかも多年なので6年ぐらい実がなるんです。だからその間は他のものが何も植えられない。
Q:迷惑(笑)。
滑浦:ちょっと迷惑だと言われました。すごくでっかいので1mおきぐらいに植えなきゃならない。そんな野菜は日本にはないんです。小さい人参とかジャガイモも試して植えましたけれど、結局日本の土が良くないのかな。
Q:土が違う、って言いますよね。逆にたとえば京野菜などを使ったりは?
滑浦:京野菜には興味がありませんでした。ただうちの実家、丹波に近い裏神戸では京野菜に似たようなものが採れるし、とても美味しいんです。
Q:たとえば子羊とか子牛などは手に入るものだったんですか?
滑浦:国産もありましたけれど、僕はあまり使いませんでした。
Q:どちらかというとお魚が中心だった、海も近いし?
滑浦:そうですね、でもなぜ神戸牛を使わないんだろう?と自問自答したこともありましたよ(笑)。豚もあるし、鳩だって日本のものは少し特殊ですがありますしね。
Q:鴨も日本のものは特殊ですよね?
滑浦:ちょっと違いますね。不味くはないけれどあっさりしていて物足りない。結局素材の違いにストレスを感じていたかもしれないです。
Q:お店では今みたいにデギュスタシオンでしたか?それともアラカルトもあった?
滑浦:最初はセットメニューで、前菜、主菜、デザートの3-4種類の中からお客さんが選ぶということをしていました。珍しい食材が食べられる、と結構お客さんに喜ばれました。カエルとかザリガニとか、変わったものを出しても結構食べてくれるんです。ただお客さんが2人いたとすると、違うものを頼んで一皿を分けるんです。「それは違うなぁ」と思いながら僕は見ていました。せっかくコースとして考えて作っているんだから、一皿食べてくださいよ、と思いました。一人用のポーションを作っているのに、意味がないんじゃないかとね。
Q:まあ味見程度ならいいけれど、真ん中にお皿を置いて「シェアしましょう」と言われるとガクっとなりますよね。
滑浦:ポーションが本当にひとさじぐらいのことだってありますよ。それでもシェアされてしまう。「やめてください」とも言えないし(笑)。なのでセットメニューを止めよう、とデギュスタシオンを始めました。
Q:するとデギュスタシオンはすでに日本で始められていた?
滑浦:そうですね。
Q:ちなみに日本だとお値段はどのぐらいでしたか?
滑浦:最初は4000円で、最後には6000円でした。
Q:お客さんは入ったんですよね?
滑浦:入りましたよ。好きだという人に値段は関係ないですよね。それから神戸にあまりそういう店がなかったんじゃないかと思います。もっとクラシックで、メインにはステーキが出てくるという店ばっかりだった。たとえメインにピジョンとか子羊があっても頼む人があまりいなかったんじゃないですかね。うちの場合には神戸の店でのデギュスタシオンが今の原型になっているんじゃないかと思います。
さっきの話に戻りますけれど、一皿の料理というのはやっぱり一皿なんですよね。じゃあ小さいポーションにしたらどうなるか?半分にしたらどうなるか?というと成り立たないんです、料理が。ただ小さいポーションの料理というのは、大きくもならない。ニュアンスわかりますか?
Q:わかります。
滑浦:今日食べていただいたアスパラの料理ですけれど
Q:美味しかった!
滑浦:あれが半分でもつまらないんですよ。
Q:するとあれがジャストなサイズだったわけですね。
滑浦:食べた時に「これもしかして…」っていうのがないとダメだと思うんです。でも2本目を食べると「さっきと同じ」と思うんだったら意味がない。そういう料理をいつも考えていかなきゃならない。
Q:あの(メインの)豚がとても美味しかったです。ああいうレンズ豆、初めてでした。「えっ!」と驚きました。歯ごたえがすごくて、美味しい!とマダムにも言いました。
滑浦:まあ、そういうことですよね。あそこにいろいろな野菜がついていたら僕の主旨とずれてしまう。
Q:確かに、他のものがお皿に乗っていたら私も嫌だったと思います。あれは、豆の歯ごたえと豚の柔らかさを交互に味わいながら噛みしめるのが一番素敵だと思います。
滑浦:デギュスタシオンならばそういう自分の思っている料理ができるのだと思ってやっています。
Q:パリに話を戻しますけれど、こちらに来た、店を出した理由というのは?
滑浦:やっぱりね、パリで活躍している人がいた、というのが一番大きな理由だと思います。
Q:たとえば?
滑浦:小林圭さんとか、Passage 53の佐藤さんとか。彼らが活躍していることを知って「あっ、僕がやりたいことを彼らがしている」と思ったんです。「なんでできるの?」と思った時に、僕はパリで店を開くために努力をしただろうか?と思ったんです。もちろん「やりたいな」と思ってはいました、パリというかフランスで、です。そして彼らがしていることを見て「あー、これが俺のやりたいことだったんだ」とあらためて思ったんです。そのことをずーっと思いながらこの先神戸で続けると後悔するんじゃないかと思って、じゃあ神戸の店を止めようと。
Q:それを決めたのは?
滑浦:2013年にフランスとベルギーを旅行した時に、まずパリへ来ました。まあ食べ歩きの旅行で、小林さんの店、ピックの店、ブラスの店、ベルギーの店にも行って、まあ影響されたんですかね、「会わせてください」と頼んで小林さんと話をして。
Q:小林さんと話をされた?
滑浦:ええ、そうしたら「日本にはもう日本料理があるでしょう」という話になってまあ、それはそうだな、と。「フランス料理をやりたいからフランスにいるんだ」と言われてそうだよな、と。影響されました。
Q:このお店はどうやって見つけたんですか?
滑浦:ネットでまず探して不動産屋に片っ端から電話して、「日本から来てやりたいんだ」と話すとみんな結構親切に紹介してくれるんですが、書類を見せられても書いてあること全部はわからない、保証金がいくらとかね。
Q:神戸のお店をたたんでしまってこちらにいらしたということですか?
滑浦:そうです。ただ僕は知らなかったんですが、向こうに店があってもこちらで店を開くことに問題はなかったみたいです。もちろん一人でやっているので店を神戸に残すことは無理なんですが、会社だけでも残しておいた方がこちらで事がスムーズに運んだんじゃないかと後で聞きました。
Q:そんなこと後で言われても、ですよね。だってさっきも話が出ましたけれど、みなさんこちらで修行をされてからお店を開くので、滑浦さんには参考にできる前例がなかった。
滑浦:そうそう、すべて手探りでやってきたのでね。自分でも初めてだし、あんまり前例がないし、情報もないので最初はヴィザもいらないんじゃないかと思ったりもしました。でも「待てよ、取っておいた方がいい」と思い直して取ったり。まあいろいろ調べてこれがいいんじゃないかという方法を選択してきました。それから嫁が見つけてきて参考にさせてもらったのは、学生で起業してパリでお好み焼き屋を開いている人のブログです。
Q:起業する若い人たちは、商売が上手ですよね。どうですか、滑浦さんは商売上手ですか?
滑浦:まあ続けられるのが商売なのかな、とは思いますし、自分の好きな事ができるのが商売なのかな、とも思います。
Q:まあご自分の好きなお料理が商売につながれば、ということですよね。
滑浦:だからあんまりお金儲けをして老後に楽をしたいという気持ちはないんです。まあそのへんが下手ということですね(笑)。あまり深く考えていない、ということがあるのだと思います。商売というのは、要するにお金儲けをしなきゃいけないというのが前提なんですよね。そこのへんがちょっと無頓着なのかもしれないです。
Q:うんうん、神戸にいた時代からそうでしたか?
滑浦:まあほとんどお金は食材に使っていましたね。
Q:でも会計、というか計算はするんですよね?
滑浦:昔は自分でやっていました。
Q:するとわかるじゃないですか、儲けがなんぼっていうことは。
滑浦:わかりますよ。
Q:するとお財布の紐をちょっと締めなきゃとか。うーん、それはないか。
滑浦:あのね、財布の紐を締めたことがお客さんにわかっちゃったらダメなんです。嘘でも、見栄を張るのかもしれないけれどいいものを買わなきゃいけない。
Q:まあケチっていたら商売はできないですよね、きっと。
滑浦:神戸の店には食材についてよく知っている人もたくさんくるので、見栄じゃないですけれどいいものを持ってないとダメなんですよ。ワインもそうです。
Montée
Adresse : 9 rue Léopold Robert, 75014 ParisTEL : 01.4325.5763
URL : www.restaurant-montee.fr/
火-土12h-14h / 19h30-21h30 昼のコースメニュー40€(4皿と2デザート) 夜のコースメニュー80€(7皿と3デザート)