インタビュー:ビール史家、ピエール・ギャンガンさん
日々、リスクを負いながらもビールを作る若者たちに敬意を捧げたい。
「1970年代末、パリに唯一残っていたブラッスリーが醸造を止めた。太古の昔から醸造が行われ、18世紀には醸造所が70軒を数えたパリで、初めてビールが造られない時代になった…
1987年に自家醸造店ができたが91年に閉店、同年にO’Neilがオープンする。これがパリに現存する一番古いミクロブラッスリー」と語るギャンガン氏は、今秋、国立ビール博物館から出版された『パリと周辺地域の醸造所とビールの歴史』*の著者。
フランス革命の前後、バスチーユに近いFg St-Antoire通りには醸造所が集まり、民衆はバスチーユ牢獄襲撃後そこで祝杯を交わしたとか、普仏戦争(1870-71)時は愛国心が高まり国産ビール生産が急成長、とか、ビールの起源から今年6月までのパリのビール史と詳細なデータが詰まった本だ。
彼が「ビールの文化大革命」と呼ぶ近年の自家醸造所ブームを「増加の背景には、仏最大のモルト業者も小規模受注の窓口を設けるようになったことや、醸造学を修め英米などで研修したレベルの高い醸造家が増えたこともある。そして消費者。パリの若者が皆、1パイント6~7ユーロの高価なビールを飲んでいる訳ではない。自家醸造店の客を見れば、購買力があり、食品の質や環境にこだわり、流行に敏感な〈ボボ〉と呼ばれる30~40代の人たちが主体のブームだということがわかる」と説明する。
客観的に分析しながらも、「経済的リスクを負いながらも実験を重ね、日々旨いビールを作る彼らに敬意を捧げる」と、グラスを片手にエールを送る。
* 『Histoire des brasseries et des bières de Paris et sa région』
購入は→ www.passionbrasserie.com/2016/08/21/boutique/