Q:その真っ白いピザには何が入っていたんですか?お豆腐とか?
宮下:チーズでした。
西川:「ピザって赤くないんだ」とその時初めて思いました。
Q:でも「センスがある」と言われるからには、宮下さんにもともとセンスを培う基盤があった、例えばファッションが好きだった、とか?
宮下:ファッションは好きでした。
Q:例えば高校時代にはその後の進路についてどう考えていましたか?
宮下:進路は考えていませんでしたけれども、高校卒業前にタイへバックパックで行った時に初めて海外の面白さを知っちゃったんです。そしてそのあとに西くんと知り合った時にはまあ山梨へ、国内でしたけれど動き回ることが嫌じゃなかった。地元東京にとどまるのではなくてどこか別の場所に飛び立ちたい、という気持ちの方が強かったですし、自分的には好きでした。
Q:東京生まれ、育ちの宮下さんはまずタイに行ったことでご自身の中で何かがブレイクした、というか「わー!」と弾けてしまった、ということでしょうか?
宮下:確かにタイに行った時には「わー!」という感じでした。そのあと山梨に行ったら富士山があるじゃないですか。富士山のパワーを感じた、というかとても不思議な土地だと思いました。
Q:富士山パワーというのはどんなもの?
宮下:まあ自然の、なんとも言えないスピリチュアルな力ということですか。
西川:磁力、方磁石が反応しないとか、そういう不思議な現象があるのできっと何かがあるのだと思います。
Q:とすると山梨での生活は一種の「修行」だった?
宮下:まさに修行でしたね。山籠もりと同じだと思います(笑)。しかも冬は厳しくて、マイナス20度なんてざらでした。
Q:レストランは湖のほとり、それとももう少し山側 ?
宮下と西川:ほとりです。
西川:翔くんは一度これ、と思ったらのめり込むんですよ。シェフから貸してもらった本を読んだり、その頃からフランス語を勉強していたよね?
宮下:辞書を引きながら少し勉強しました。
西川:すごい速さでのめり込んでいきました。山梨にいた時には東京にも時々遊びに出ていて、西くんと初めて恵比寿にあるガストロノミーのジョエル・ロビュションの店に行ったんです。その時に衝撃を受けました。
Q:どういう?
宮下:いや、こんな世界があるのか?って(笑)。何も知らずにGパンで行ったので。
西川:しかも野球帽を被って、3種類あるランチの一番高いコースを頼んだ。
Q:それはいつのこと?
宮下:ちょうど僕が20歳、21 歳の頃です。それでフランス料理のガストロノミーの世界にはまりこみました。
Q:はまりこむというのは、自分がその中に入るということですか?
宮下:魅了された、入ってみたいと思ったということです。
Q:すると山梨を離れることに?
宮下:そうですね。冬は厳しい土地でしたし、オーナーの意向により店も閉店してしまったので。そうしたらその店の芸術的なシェフが「お前、1年でもいいからフランスへ行ってこい、空気を吸うだけでもいいから」と言ってくれた。僕はタイに初めて言った時から旅をするのが好きだったし、ヨーロッパにも行ってみたいと思っていたので、一度東京へ戻ってワーキングホリデーのヴィザの準備を進めながら、ヴィザが取れるまでの間、と思ってピエール・エルメに働きに行きました。
Q:青山の?
宮下:ブティックは青山ですがラボラトリーのあった葛飾です。
Q:再びの下町。
宮下:はい、工場がそちらにあったので、入ってどういう風になっているのかを実地で見させてもらっているうちにワーキングホリデーのヴィザがおりました。とりあえず、とワーキングホリデーでこちらに来ました。確か2010-11年のことです。ちょうど23歳の 頃で、 仕事もアパートも何も決めずに、とりあえずスーツケースとリュックひとつで来ました。
Q:基本的な話で申し訳ないのですが、ワーホリというのはどういう手続きをとってもらうものですか?
宮下:大使館に申請します。
Q:その時に 「これをしたい」という目的を申請する?
宮下:そうです。作文を出して健康診断を受けて、貯金がいくらあるというような証明書を提出して審査を受けました。一年間働けるヴィザです 。
Q:すると作文には「料理、ガストロノミーを」と書いたわけですね?
宮下:本場の料理を見たいと書きました。本物と国の文化を見て感じて見たい、と。それでフランスに出てきて2週間ぐらいホテルに住みながら食べ歩いて、その食べ歩く店の中で働き口を探していきました。
Q:どういうお店を食べ歩きましたか?
宮下:ワインバーとかビストロとか、とりあえずその当時雑誌に載っていた小さなお店には色々行きました。そういう中で紹介してもらったのが、18区にあるChamarée Montmartre シャマレ・モンマルトルという店でした。そこで、ワーホリで働かせてもらえることになりました。
Q:それまで自分が培ってきた技術とか経験というのは役に立ちましたか?
宮下:少しは役に立ちましたけれども、やっぱり全然違いました。半年間はまず言葉がまったくわからない、それが一番大変でした。
Q:お店の規模は?
宮下:そこは結構でかくて、客席は60席ぐらいがマックスだったのかな。厨房にはパティスリーが2人、前菜2人、メインが2人、ガルド・マンジェも2人ぐらいはいて、サービスも4人はいたと思います。
Q:かなり大きな規模で日本人はゼロ?
宮下:いや、2番手のシェフということで長くから店に勤めている人がすでにいました。それからすぐに辞めてしまいましたけれどパティスリー部門にも日本人がいました。店のシェフは体重が120kgぐらいあるモーリシャス島出身の気のいい人で、とても世話になりました。
Q:するとワーホリ期間中に働いたのはそのお店だけ?
宮下:そうです。ワーホリの後半にもう少しフランスに残りたい、と思っていたらちょうどよくシェフから「ヴィザを取ってあげる」と話をされました。
Q:優しい方ですね、ワーホリが終わったら帰る人が結構いると聞いていますけれど。
西川:そのシェフとも誕生日が同じという偶然、というかスピリチャルなつながりがあったんだよね?この前も「来週の土曜日に厨房を代わってくれないか?頼めるのはお前しかいない」って連絡があったんでしょう?
宮下:そうなんです。
Q:今でも繋がっているんですね。何ておっしゃる方ですか?
宮下:Antoine Herrahアントワーヌ・エラーというシェフとしても優れた人です。
西川:すごく豪快なシェフみたいです。柑橘類の魔術師。
宮下:南西仏で柑橘類の果物で有名なバシェズさんの生産品を初めて使ったのがアントワーヌだそうです。
Q:シェフたちから引っ張りだこのバシェズさん。
それで結局エラーさんにヴィザをとってもらったんですか?
宮下:とってもらったんですが、ワーキングホリデーからヴィザに移行するにあたって一度日本へ帰国しなければなりませんでしたので一度日本へ。「半年ぐらいで取れるだろう」と言われていましたけれど、結局2年かかりました。
Q:長い!その間は?
宮下:やっぱり仕事をしなくちゃならないので、東京で店を転々と、でもフランスへ戻るという気持ちがあったので、正社員じゃなくバイトとして雇ってもらえるところを探しました。最初は「半年ぐらいだろう」と思っていたので、カフェやブラッスリーみたいな店で働いたんですが、1年経って「ダメかな」と思い始めました。自分ではガストロノミーをやりたいと思っていたので、銀座にあったEsquisseという二つ星を獲っていた店に入りました。けれども日本へ帰ってちょうど2年が経つ頃に 「取れた!」と連絡が入って、またフランスに戻ることを決意しました。2013年のことです。
Q:ヴィザの種類は?
宮下:就労ヴィザで、働いていれば毎年更新できるというものです。ヴィザを取ってもらった店で働かなきゃならないのでエラーさんの元に戻りましたけれど、当時18区に彼は店を4つ持っていて
Q:4店舗も!?
宮下:彼の店の一つだったモンマルトルにあるMoulin de la Galetteムーラン・ド・ラ・ギャレットという、ブラッスリーとビストロスタイルでやっていた大衆的な店にまずは配属されました。
Q:そこでシェフに?
宮下:いや、最初は前菜のシェフ・ド・パルティ(部門長)で、1年ぐらいしてシェフをやらせてもらいました。
Q:それにしても結構トントン拍子ですね。
宮下:そうですか?
Q:20歳で料理と知り合ったとは思えない。
西川:翔くんはのめり込み方がすごいんですよ。底力があるというかブルドーザーみたいだ、というのか。
Q:ブルドーザー!(笑)
西川:野球をやっていたので体力もあるし、人とのコミュニケーションを取るのもうまい。
宮下:自分で色々なことを調べるのは好きです。
Q:やっぱり世代的にパソコンっ子ということですかね?
宮下:そうなりますね、多分。パソコンで色々調べます。
Q:パソコンって子供の時から周りにあったものでしょう?
宮下:ありましたね。テレビゲーム、スーパーファミコンには熱中しました。
Q:ゲームセンターには行きましたか?
宮下:行きましたよ、中学の時にはゲーセンにたむろしていました。
西川:アフロに櫛を指していました(笑)。
宮下:もともと、アメリカの西海岸のヒップホップ、ストリートカルチャーも大好きで。
ヒップホップがすごく好きだったです。
西川:1980年代のソウルミュージックなんかよく知ってますよ。
Q:R&Bとか?
宮下:そうです。アフロを編み込んじゃったりもしてました。実家にはその当時の写真がありますが、今お見せできなくて残念です。見せたかったです。
Q:すると「好き!」と思ったらそこへ突進するタイプ?
宮下:そうです。今ヴィンテージもの、アメリカの文化にハマっています。
Q:例えばバイクでアメリカ横断とか?
宮下:いやあ、アメリカ行きたいんですよ!
Q:と言いつつフランスに今いらっしゃるのが面白い!
宮下:結局海外だったらどこでも良かったのかな?(笑)でもちょっと前まではヨーロッパがすごく好きでした。格好いいなあ、しゃれてるなあ、と。
Q:文化一般においてヨーロッパの方が歴史も古いし成熟、洗練していますよね。料理にも同じイメージがある。宮下さんはそこに憧れているけれども、同時に自分が慣れ親しんできたもっと若いポップなカルチャーやストリートカルチャー、フードにも惹かれている、ということでしょうか?
宮下:ロビュションを見た時には、やっぱりガストロノミー、ハイクラスで洗練されたものを知りたいという気持ちを強く持ちました。ファッションにしても同じことです。美しいものにすげえハマりました。その間も料理は続けていましたが、ある時「ストリートフードをやってみたい」と思うようになったんです。
西川:結構具体的な案を練っていたよね。そうしたら、結局トラックを買ってしまって「えー!」と。
Q:共同経営者の彼とはどんな縁ですか?
宮下:ジェレミーとはシャマレで1年間ぐらい一緒に働きました。
Q:彼も厨房?
宮下:サービスです。
Q:彼がエジプト出身?
宮下:フランス育ちですが、父親がエジプト人で母親がフランス人です。ジェレミーも「何かに挑戦したい」という気持ちを持っていて、じゃあ一緒に、ということになりました。
Q:それがお店ではなく、フードトラックだった。お店という案もあったんですか?
宮下:ありましたけれど、やっぱり高い。そこまでのお金は僕らになくて、予算内でできることがトラックだった。
Q:話が持ち上がったのが2015年だったとすると、ちょうど色々なフードトラックが出始めた時ですよね?ハンバーガーなどブームになりました。
宮下:そうでしたね。
Q:でもハンバーガーには行かなかった?
宮下:ハンバーガーはすでにたくさんあったので、違うことをやっていかなくちゃいけないとジェレミーと話し合って、彼の半分出身地ともいえるエジプトのピタと、日本の醤油を使ったりする料理をミックスさせたものを作っていこう、ということに。
Q:とても個性的だと思います。計画はいつから?
宮下:去年の秋からです。それでトラックを探して、銀行で融資を交渉して、衛生の資格を取ったりもしました。トラックも10台ぐらい見ました。
Q:フードトラックは特注ですか?
宮下:そうです。フランスの北に専門の業者がいます。
Q:商売をする権利というのはどうやって取得するんですか?
宮下:権利というよりも会社を立ち上げる必要があります。大変なのは場所の確保です。例えばここ(お会いしたのは13区の国立図書館の脇にある映画館 MK2 Bibliothèqueの前)は映画館の土地なので、店を出すためには映画館に交渉しなければならない。
Q:この前お邪魔したオーステルリッツ駅では?
宮下:フランスの国鉄SNCFとの交渉になります。
Q:毎回交渉を?
宮下:そうです。フェスティバルなどイベントに出店する時にはそのイベントのオーガナイザーへ交渉します。それから朝の市場、ということになると今度はパリ市と交渉です。
Q:お金を払う?
宮下:もちろん、場所代がかかります。
Q:ショバ代が。
宮下:ショバ代は1日いくら、という時もあれば売り上げのナンパーセントという時もあります。
Q:歩合制?
宮下:そうです。
Q:そうか、チャルメラを鳴らしながらいつでもどこでも売り歩くわけにはいかないんですね。
宮下:できません(笑)。行く場所の許可を全て取っていかなきゃならないです。
来年開かれるフェスティバルなどはみんな半年前ぐらいからコンタクトを取るみたいです。自分たちは始めてまだ3ヶ月ぐらいなのでわからないことも多いんですが、そういう話を聞いています。
Q:例えばどんなフェスティバルを?
宮下:夏の音楽フェスティバルWe love green(ヴァンセンヌの森)とか、Solidays(ブーローニュの森)とか。
Q:同業者たちと仲良くなれば、情報が得られる。
宮下:そうです。みんな情報をくれます。
Q:彼らとは同じものを出していないので共存しながら一緒に客寄せができる。しかもフランス人は強い連帯意識を持っていますよね。ところでこれまでレストランの厨房にいたのと、今こうしてトラックでお料理をされていることの違いは何ですか?
宮下:やっぱりお客さんの反応が直接くるのでリアルですね。
Q:どういう反応?
宮下:今のところは「おいしい」という反応が多いですが、たまに「ポテトにはもう少し火を入れたほうがいい」と言う人もいます。まあ基本的にはみんな「おいしい」と言ってくれますね。
Q:値段については?
宮下:「高い」と言われます。
Q:この前食べに伺ったときに私もそう思いました。
宮下:そこをジェレミーと相談しなきゃ、と。とにかくまだ手探りの状態なので。
Q:なぜお酒を置かないんですか?
宮下:ジェレミーはお酒を出すライセンシーを取っているんですけれど、トラックを置く場所には別のライセンシーがあって
Q:ふむ。
宮下:だから、例えばここ(13区の映画館MK2 Bibliothèque前)ではお酒を売れないんです。
Q:えー、映画館の中のレストランではお酒を出しているくせに?
宮下:そうなんです。だからここに出店するトラックはみんなお酒を出せなくて、しかも売っている飲み物は映画館側から支給されるので均一価格。
Q:ちなみに看板のメニューに出ていたデザートも全て宮下さんが?
宮下:作っています。
Q:トラックの中で?
宮下:ヴァンセンヌに色々な会社が入っている大きなラボがあって、そこの一角を借りています。パリコレクションなど色々なイベントを準備する会社とか、ケータリング会社と一緒に。
Q:共同の料理ラボ、ということですか?
宮下:そうです。借りている厨房スペースです。
Q:お菓子やデザートのスープもそこで?
宮下:トラックの中では準備はできないので、最大限をこのラボスペースで作ります。
Q:私はピタパンサンドに入っていたエジプト豆のムースというか、ペーストがとても美味しいと思いました。これまでに食べた中で一番ふわふわと軽かったです。
宮下:そうですか、ありがとうございます。みんな「軽い」と言ってくれます。
Q:そういうことも自分で模索する?
宮下:もちろん。
Q:今のところ3つしかピタパンサンドの種類がないじゃないですか。これからはもう少しバリエーションを?
宮下:InstagramとかFacebookなんかで「シークレット」ピタサンドメニューを発表して 提供するのはどうだろう?というようなこともジェレミーと話しています。
Q:隠れ技を使う?
宮下:そうですね。「ブラインドピタ」って呼んでいます。遊び心のある感じで。