Q:お生まれは?
伊地知:1975年の5月8日で、鹿児島の阿久根というところで生まれました。
Q:フランスにいらしたのは?
伊地知:2000年に来たので、17年目です。日本人で(ミシュランガイドで)最初に一つ星を獲った水道橋のエドモンドというホテルのシェフ、中村勝宏さんという方が私と同郷で、 彼が私の高校の70周年記念祝典にいらして講演をしたのを聞いて、「フランスに行ってみたい」という気持ちを抱きました。そこまで一人の男が熱くなれるようなものがあるのであれば、ということで料理に魅力を感じたんです。料理の世界に入ってフランスへ一度行ってみたいと思うようになったのは、それがきっかけです。若い時の漠然としたその夢が、今自分がフランスにいることのはじまりです。
Q:高校生の時、つまり10代の後半でということですね?その前に料理には興味を持っていましたか?
伊地知:親が美容院を経営していたので、小さい時から手に技術を持つ仕事をしたい、とは思っていました。けれども美容師だけにはなりたくなかった。ただし弟が親の店を継ぐという話になっていたので僕にその話が振られることはありませんでした。あとは食べることが好きな家庭だったのだと思います。祖父が定食屋をしていたこともあって、美味しいものが好きということは頭の中に刻まれていたと思います。
Q:おじいさまの定食屋さんというのは、洋食だったんですか?
伊地知:いやいや、もう唐揚げ定食だとかコロッケだとか、カレーだとか。結構シンプルでしたが全部手作りで出していました。
Q:弟さんは鹿児島で今お店を展開していらっしゃる?
伊地知:代官山で店を出しています。まだ若いし、親も元気なので東京で、ということでしょうね。そのうち帰るんじゃないですか。コンテストでも優秀するぐらい腕がいいみたいです。
Q:すごい!
伊地知:僕はファッションには全く興味がなかったんですが、弟は昔から好きだったみたいです。子供の頃から親にくっついて講習会などにも参加していました。
Q:こうしていろいろな方にお会いしていると、料理に興味を持つ時期やきっかけがみなさん違っていて面白いです。伊地知さんは、料理に興味を持った後、学校へ行ったんですか?
伊地知:いや、専門学校には行っていないです。高校を卒業してそのまま現場に入りました。1年間鹿児島の林田という今はないホテルで働いて、お金を貯めてフランスに行っちゃおうと思っていたんですが、先輩の中村シェフに相談したら「とりあえず技術を身につけること。東京のフレンチで仕事をしてからフランスへ行ったほうがいい。基本がないとフランスに行っても意味がない。」と言われたんです。
Q:先輩からアドバイスを受けた。
伊地知:そうです。そこで東京の店を紹介してもらって5年間働きました。ル・グラン・コントワーLe Grand Comptoirという店で、菅沼豊明という方がシェフでした。
Q:学校へ行かずにいきなりプロの世界へ入るというのは珍しい?
伊地知:いや、学校へ行ってもお金がかかるだけで就職先が見つかるかどうか、というようなことを言われて、親にも迷惑をかけたくなかったので実地で働こうと。技術をとりあえず身につけることが大切だと自分でも思いました。東京の店では、鹿児島でしてきたことがなかなか通じなくて結局一からやり直す羽目になりました。その店で5年働く間に嫁と知り合って、私は2000年にフランスへ、彼女は2002年にフランスへ来ています。彼女は東京の店ではサービスをしていましたが、もともと調理場で働きたいという気持ちがあったのでフランスに来てパティシエの勉強をしました。
Q:じゃあ今お店でパティシエをされている?
伊地知:ええ、3人の子育てと並行してという感じです。
Q:5年東京で働いた後にフランスへ来る、ということは伊地知さんにとって不可欠なことでしたか?
伊地知:フランス料理を作っているからには、フランス人と同じ釜の飯を食べてみるべきだと思いました。漠然とフランスで(ミシュランの)星を獲りたいという気持ちも自分の中にはありました。
Q:星は欲しいと思っていた?
伊地知:店を持ちたいという夢があって、加えて叶うならば一つ星を獲ってみたい。中村シェフを見習ってということでもないですけれど、そういう漠然とした夢はありました。若い時の夢ですからね、とりあえず叶えるためにはどうするかな?ということで、フランスに行くしかない、フランスに行っていろいろなものを見てみたい、そこからが始まりです。
Q:東京のお店のシェフはフランスに行くなら、とお店やシェフを紹介してくれましたか?
伊地知:そういう話もいただいたんですが、僕としては自分の力を試してみたいという気持ちが強かったです。
Q:それでどこへ飛び込んだんですか?
伊地知:最初に働いたところが、幸運なことにヴィザを取ってくれて、そのヴィザさえあればなんとかなるだろう、とヴァランスのピックMaison Picへ。
Q:ピックへ行かれたんですね。すでにアンヌ=ソフィーさんAnne-Sophie Pic(祖父アンドレ、父親ジャック、そしてアンヌ=ソフィーと3代続けてミシュランで3つ星を獲得するシェフ)の代でしたか?
伊地知:はい。とりあえず食べに行って決めようと思ったんですが、食べたらすごく美味しくて「ここだったら面白そうだ」と。
Q:ピック以外は考えていなかったんですか?
伊地知:何軒か食べに行って一番美味しかった店でした。リヨンへも行きましたが、ピックがダントツで美味しかった。当時は300ユーロしか給料をもらっていなくて、本当にお金がなかったです。働いた店では、ヴィザは取ってあげるけれども給料は安いよ、というのが条件でした。
Q:ヴィザを取ってくれたお店というのはどこに?
伊地知:タン=レルミタージュTain-l’Hermitageという、ヴァランスから15kmぐらい離れた町でした。
Q:その後ピックへ行って?
伊地知:ガッツリやられました。日本人をあまり使ったことのない店で、先先代、先代の時にも日本人は数えるほどしかいなかったらしいです。
Q:働いてみてどうでしたか?
伊地知:うん、いい面も悪い面も勉強になりました。2年働いて、もちろん料理の勉強にはなったんですが、東京の小さな店とは違ってピックの料理は組織の料理という感じがしましたね。ガルド・マンジェだけでも8人ぐらい、魚部門にも7-8人いて、チームで料理を作るということはこういうことなんだ、と知りました。人を使う、フランス人と仕事をする、という意味では勉強させてもらいました。
Q:アンヌ=ソフィーさんはどうでしたか?代々料理人の家に生まれて、店の評判を落とさずに繁栄させ続けていくことは難しいことですよね。
伊地知:いや、ぶっちゃけた話、彼女は料理人というよりはマネージメントをする人ですね。それでも三つ星を続けていけるということは、やっぱりセンスがある。尊敬する人ではあります。ただ彼女と一緒に10年仕事をしたいか?と問われると、そこまでの魅力を僕は感じなかった、料理人としてという意味で、です。だけれど僕はいろいろ勉強させてもらったし、今でも仲良くさせていただいています。
Q:でも男性の多いフランス料理界の中で女性シェフとして活躍するというのはすごいですよね。
伊地知:もちろんそうです。ただ、私が考えているシェフと彼女は違ったかな。
Q:考えていらっしゃるシェフというのは?
伊地知:レジス・マルコンRégis Marconとか 。今度研修に行く予定です。この前遊びに行ってきました。あの一家にもとてもよくしてもらっています。
Q:ブラスさんは?
伊地知:ミッシェル・ブラスMichel Brasさんにも行きましたよ。でも、息子の代になってから少し違うかな?という気持ちはあります。
Q:みんなそう言いますね。
伊地知:ちょっと違う方向へ走り出しているので、心配です。
Q:2代目の難しさという意味では、ピックは3代も続いている。
伊地知:いや、凄いですよ。アンヌ=ソフィーは、その点では本当に尊敬できます。
Q:結局、ピックを目指して行って、その後ヴァランスに残るじゃないですか。その理由は?
伊地知:私は飲むことが好きで、いいワインの、情熱を持った作り手さんがいっぱい近くにいる。その人たちと付き合っているとすごく面白くて、彼らの情熱をいろいろ聞かせてもらうことが自分にとってはとてもいいことなんですね。パリにいたらおそらく作り手さんたちと交わることもないだろうし、そう考えるとヴァランスが面白いので、ダラダラと残っています。いい食材はもちろん入ります。今だと杏abricotとか桃とか、さくらんぼとかね。
Q:そうそう、杏は南が産地ですよね。
伊地知:そうなんです。野菜もフルーツも、肉でもいいものが入ります。魚はどうしてもリヨンからしか入らないので。
Q:マルセイユではなくて?
伊地知:地中海で上がった魚というのは、基本的にパリへ行ってしまうみたいです。それでパリからまた下ってくる。
Q:わー、やっぱりそうなんですね。ノルマンディーでも同じことを聞きました。良いものは結局パリへ集まって、その後パリから地方へ分散されていく。
伊地知:そうなんです。だからリヨンの業者にお願いして、いいものを仕入れるようにしています。
Q:リヨンは食材が全般的にいい。
伊地知:そうですね。ヴァランスはリヨンとアヴィニョンの間なので、リヨンから、そして南からも食材が入ってくる。場所としては最高です。だからみんなが「なぜヴァランスみたいな田舎町に店を出したの?」と言うんですけれど、結構ヴァランスっていうのは面白い場所なんですよ。しかも生産者、農家も近いので、直接買いに行ける。肉や野菜は直接、しょっちゅう顔を出すようにして生産者とのつながりを作るというのがまた面白いんです。
Q:あの辺のワインは?Côte du Rhôneコート・デュ・ローヌ?自然派ワインを出す、というのは難しくないですか?リヨンの石田さん(この欄でもすでに紹介させていただいたシェフ、石田克己さん、リヨンでEn Mets fais ce qui te plaitのオーナーシェフ)がおっしゃったのは、リヨン人は名の知られた作り手のワインしか飲まなかったということです。
伊地知:ヴァランスも同じです。リヨンは石田さんの店が出来て、それからいろいろ広まりましたけれど、ヴァランスはまだまだですね。ヴァランスで自然派を置いているのはうちだけです、 店が180軒ぐらいあってですからね。もちろんクラシックな作り手さんでもいい人はいっぱいいます。でも、自分的には飲んだ時に自然=ナチュールじゃないと。自分は自然派ワインに合う料理を作っていると思っています。
Q:料理はワインとの兼ね合いで作っていらっしゃるということですか?
伊地知:それはやっぱりあります。
Q:これを飲むなら、これがおいしい、というお料理を?
伊地知:うん、考えています。このワインをお客さんが選んだ、ということでちょっとした調整を料理にも加えます。ソムリエが調理場に来て「これ頼んだから、肉を変える?」というようなことも言います。この赤ならピジョンにしよう、とか。肉も常に3-4品持っているので調整するようにしています。お客さんから「このワインと最高に合っていて美味しい」と言われると、こっちも嬉しいじゃないですか。
Q:お店ではグラスワインも出していますか?
伊地知:やっていますよ。グラスだけはクラシックなものを置いています。
Q:レストラン業は大変ですよね。私は食べるのも作るのも好きですけれど、それを商売にするのは大変だな、といろいろな方から話を聞きながら思います。
伊地知:好きだからやっているんでしょうね。お金を稼ごうと思ってやると、途中でダウンしてしまう。やめる人はいっぱいいます。でも私はやっていて楽しいです。作り手さんと話をしていると彼らの情熱が感じられてとても楽しいし、こっちも自分の情熱をぶつけてしまう。今回の旅も、まだよく知らなかったイタリアの人たちがどういうものを、どういう気持ちで作っているのか、そういうことを見て、聞けただけでも勉強になりました。これからも、いいものの作り手と出会っていきたいなと思いました。生ハムやオリーヴオイル、バジルを作る人たち…楽しいですよ、本当に。スペインもイタリアも楽しかったですけれど、夜中に喉が渇きましたね。塩気の多いものが多かったからだと思います。
Q:塩といえば、お店のテーブルには塩を置きますか?最近レストランのテーブルに塩が出ていないことが多いと気づいたのと、その反対に実際に食べてみて塩気が多い料理が多いということにも気づきました。塩が苦手な私としては、結構辛いです。
伊地知:塩などの味加減も全て含めて料理だと私は考えていますから、テーブルには基本的に塩は置いていません。ただもちろん、若い子たちにも味を見させます。暑くなってくるとどうしても塩を効かせたくなってしまうので、その時には一歩手前で止めよう、というように心がけてもいます。
Q:うちの娘が言っていましたけれど、学校の食堂には塩が置いていないのだそうです。「味が薄い」と文句を言っています。
伊地知:へえ、そうなんですね。上の子が中学校に上がって父兄参観のようなものがあるらしいので、どんなものを出すのか覗いてみたいと思っています。
Q:ヴァランスにはもうどのぐらいお住まいですか?
伊地知:10年、いやもっとです。今住んでいるのはヴァランスではなくてワインの産地Saint-Péreyサン=ペレという村です。店からは車で10分ぐらい、田舎です。
Q:パリで仕事をしようとは思わなかった?
伊地知:最初は鹿児島からすぐにパリへ行くつもりだったんです。でもさっきもお話ししたように高校の先輩中村さんからのアドバイスで日本へ残りました。確かに、その後東京で仕事をしてからフランスに来た時には、言葉はできませんでしたが仕事はできたので、結果論ですけれど中村さんのアドバイスを聞いてよかったと思います。いや、店を始めた時にもお金がなくて、掘っ建て小屋のような場所から出発しました。自分たちでペンキを塗って、前の店にあったものを使いながらです。
Q:開いたのはいつ?
伊地知:2005年です。
Q:フランスにいらして5年後ですか、早いですね。
伊地知:25歳でこちらに来て、30歳の時でした。手探りです。店の前を通りがかったフランス人が「シェフはアジア人だぞ、犬でも食わされるんじゃないか」みたいなことを話しているのが聞こえて、「そうか、ここはそういうレベルなんだ」と思いました。
Q:確かにヴァランスの人たちにとって日本は遠いかもしれない。
伊地知:そうでしょうね。本当に何もわからなくて…でも、今思い返すと楽しかったです。若かったからできたことでしょう、今はもうできないと思います。長女が生まれたばかりでした。店の上にアパートがあってそこに住みながらです。 朝4時にパティシエの嫁が起きて店の用意をして、7時ぐらいに入れ替わりで僕が準備を始める。嫁がいない時に僕がミルクを準備していて、ハイハイしていた娘にやけどをさせてしまった時のことは悪夢のように今でも覚えています。本当に血の気が引きました。娘をおんぶしながら店に掃除機をかけたりもしました。今は笑い話ですけれど、その時は大変でした。長女の1年後に2番目が生まれています。
Q:ヴァランス以外の土地で何かをしてみたい、というお気持ちは?
伊地知:今は精神的に余裕も出てきたので、海の近くで魚料理の専門店を開いてみたいな、とか鹿児島でゆっくりしたいと思ってみたりもします。けれども、週休二日で仕事ができて、こうして1週間休みを取ってスペインやイタリアにも行けるし、子供達とバカンスにも行けることを考えると、税金は高いけれどフランスはやっぱりいい国だと思います。仕事はもちろんガンガンやりますけれど、子供達と一緒に過ごす時間を作ろうと思えばそれも可能です。私が子供の時には、共働きの両親と家で一緒に過ごした時間がほとんどなかったので、寂しい思いをしました。だから自分の子供たちとはできるだけ一緒に過ごせる時間を作りたい。欲を言えばきりがありません。実は今年の4月までビストロをやっていたんです。3年間2店舗を展開していましたけれど、あまりにも時間の余裕がなくなりすぎて、しかも自分は何店舗も持つ経営者ではないということが見えたのでやめました。でも、コンサルティング的な仕事をして、鹿児島に年に2度帰れればいいな、というようなことは考えています。ビストロを閉めてからは自分の今の店に100%集中できるし、お客さんの反応もきちんと見れるので、悪くない選択だったと思っています。
Q:今お店には何人いるんですか?
伊地知:10人です。
Q:その中に日本人は?
伊地知:調理場は全員日本人です。表は全員フランス人です。
Q:日本人はワーホリで来る人たち?
伊地知:基本はそうですね。仕事のできる人にはヴィザをとります。
Q:ご自身が作ってもらったように。
伊地知:そうです。
Q:ソムリエは日本人ですか?
伊地知:今はフランス人です。前は先ほどお会いになった西でした。
(註:西さんとは鹿児島で自然派ワインのお店ラプティットセリーヌを経営されている男性)
Q:そうか!西さんがソムリエだったんですね。
伊地知:彼は素晴らしかったです。お客さんへのタッチも柔らかいし、常にいろいろなものを追い求めている。面白いですよ、一緒にいて楽しいですし刺激になります。
Q:じゃあ、鹿児島で一緒にお店を出すというのは?
伊地知:いや、ビジネスとなると難しいです。お金が絡んでくると人は変わります。
Q:そう思いますか?
伊地知:自分の懐のことばかりを考えてしまうでしょうね。これからもいい付き合いをしていきたい人とは一切ビジネスの話はしたくないです。
Q:それは正しいと思います。
伊地知:ビストロを3年間やって、特に思いました。自分が現場にいないと何も見えない。自分がいれば、若い子たちと一緒に彼らのモチベーションを上げながらやっていけますけれど、一歩店から離れてしまうともう難しいです。僕は、多くの人が思っているようにある程度の生活はしたい。ただお金に対してそこまでの執着はないです。 2号店を立ち上げた時にもっといろいろなことをやっていければと思ったんですが、結局自分には向いていないことがわかりました。西とも話しましたが、お金を稼ごうと思えばできないことはないけれども、お金ばかりを求めてしまうと別のことがおろそかになってしまうんじゃないかと。だったらどんなに小さくても今ある空間の中で最高のサービスができるように高めていったほうがいい。まさにそうだと思うし、自分も今の店でそれができればいいと思っています。今の店で、もっと生産者の方たちと関わったり、いろいろな作り手さんと関わって料理の中で使わせてもらったほうが楽しいんじゃないかなと。
Q:楽しさは個人のものですから、銀行の通帳を見てお金が増えているのが楽しいと思う人もいる。私はそちらには賛同しませんけれど。
伊地知:いや、そうですよね。楽しいという気持ちは個人のものです。でも、僕が楽しいと思っていることを子供たちにも分けてあげたいとは思います。
Q:子供時代の楽しい思い出ってありますか?
伊地知:ないですよ。親はいつも仕事をしていましたから。2度かな、大阪へ一緒に旅行へ行ったぐらいですね。私はばあちゃん、祖母に育ててもらったようなものです。だから時間が許す限り子供達も一緒に連れて行きます。彼らは「えー、またデギュスタシオン(味見会)?」とはじめは文句を言いますが、結局はそこの子供達と一緒に遊んで楽しそうにしている。大人は飲みながら、美味しいものを食べながら意見交換をする。豊かな時間です。子供の時に牛や羊の乳を絞るという体験なんてみんなができるわけじゃないですよね。海に行けば、子供の時にしていたやり方で魚を釣ってみたり。やっぱり料理人である前に父親じゃなければいけないと思います。
Q:お料理の話に戻りますが、最近のお料理の傾向はどう思いますか?
伊地知:パリの料理を見ていると、結構似た料理が多いような気はしますね。綺麗な料理は誰にも作れますよね。花を飾ればいいし、彩りよく野菜を盛ればいいし。
Q:そこから自分らしさをどうやって出す?
伊地知:食材ですかね、やっぱり。うちもなるべくいい食材を使って、と思っています。まあみんな考えていると思いますけれど、なるべく肉ならば地元の、この作り手さんのものをとか。鳩の場合は、自分で作るトウモロコシやシリアルを食べさせて、自分で絞めて持ってくる生産者さんです。彼とはしょっちゅう会って、話を聞かせてもらっています。そういうことで差が出せるんじゃないかなとは思います。いや、相当美味い鳩ですよ。
Q:良い素材がまずあって、そのあと自分を出すには?
伊地知:お客さんの前に行って自分の気持ちを伝えることですか。
昔の料理人というのは「これが俺の料理だ」と言って出せた、つまり今ほどバリエーションというのがなかったと思うんです。ただ今はそのバリエーションというのが当たり前にあって、そこから自分の個性を出していかなければならない、これは難しいです。自分でも日々考えていますが、お客さんの前に行って「この料理は」ということを情熱のままに話すことは、自分の個性として大切なんじゃないかと思ってやっています。
Q:ちなみにワインはどこのものが一番好きですか?
伊地知:個人的に、最近はジュラですね。ローヌももちろん美味しいんですが、年を重ねると、ローヌよりもジュラの繊細さの方が好みになってきました。年に3-4回はアルボワArboisとか、ジュラの方へ行っています。若い時にはガツンとしたワインが好きだったんですけれど、今は仕事に疲れると軽めの、体にスーっと入っていくワインが欲しくなる。
Q:日本へ戻るとやっぱり焼酎ですか?
伊地知:そうですね。地元の友達とは、ビールで始めて焼酎で締めますが、鹿児島市内に行くと最近は西の店でワインばかりです。彼は結構マニアックにやっているんですよ。イタリアのものが多いのかな。いやー、イタリアは良かったですよ。自然がたくさんあって、ぶどうが草も刈らずにいい具合でしたね。
Q:お料理を始める前にお酒は飲んでいましたか?
伊地知:高校から飲んでいたと記憶していますが、最初はあまり体質的に合わなかったんじゃないかな。体が赤くなったりとか、蕁麻疹が出たりとか。今はもう大丈夫です。
Q:お料理を作る人って下戸はいませんよね?
伊地知:いると思いますよ。
Q:えー、下戸で料理ってどうやって作るんだろう。
伊地知:いや、飲んだ方がいいとは思いますけれど。でも最近の若い子たちはお酒を飲まないですよ。
Q:そうらしいですね。
伊地知:淡白です。30歳まではある程度無理はきくと思うんです。でも最近は20代前半でも、ですね。僕らの時代には教えてもらうことがあまりなかったじゃないですか。「自分で盗め」という感じでした。もっと上に行きたければ自分で色々な店に行って勉強しろ、という教えだったと思うんです。今は逆に「教えてもらうのが当たり前」ということになっていますね。フランスでは特に、(週)35時間労働になってから時間ばかりを気にしています。
Q:そうですか、料理の世界でも?
伊地知:今週はこれだけ働きましたから、って仕事を上がる。もちろん時間だけじゃない子もいますけれど、残念です。でも私の場合には、親が仕事をする姿を見ていて、どんなに疲れていてもお客さんの前では笑顔を見せるじゃないですか、それは子供として学びました。美容師も料理人も同じですけれど、100人いるお客さん全部を喜ばせてあげられるわけじゃない。
Q:「まずい」と言われたことはありますか?
伊地知:もちろんあります。「まずい」というよりも「これはちょっと失敗したね」みたいな。
Q:まあ味覚は個人のものですから。
伊地知:もちろん、でも、今でもこちらが美味しいと思って出してもお客さんからすれば「ちょっと違う」ということも。ただ、これはファッションとかどの分野でも同じですよね。
Q:好みの問題も。
伊地知:100人の集まりの全員が「美味しい」という料理を作ることは誰もできません。ただ10人の集まりの中で8人でも「美味しい」と言ってくれるなら、料理を自分は作り続けていると思います。
Q:さて、皆さんにお伺いしている大切な質問です。
伊地知さんにとって、お料理というのは?
伊地知:生きていく上で食べるという行為は大切じゃないですか。だから料理というのも、その食べるという行為の中で、お客さんに食べていただく大切なものだということでしょうか。私は料理をしていてやっぱり楽しいと思うし、食べても楽しいと思っています。自分という人間の中での大きな楽しみです。その自分にとって大切なものを子供達にも伝えていきたい。若い時に肉部門とか魚部門で働いてそれはそれで面白かったけれど、自分の手で食材を焼いたり味付けしながら料理として作ったものを、見て食べて喜ぶお客さんの顔というのを実際に自分の目で見てからですね、心から楽しいと思えるようになったのは。美味しいと、やっぱりみんな心から「美味しいね」と笑顔を見せる。ちょっとマゾっぽいですけれど、それが自分の中でいちばんのことです。
Q:この夏の予定は?
伊地知:一週間コルシカに行って、その後数日間サルデニアですかね。
Q:コルシカには船で?
伊地知:そうです。ジェノヴァのすごくいいワインの作り手のところへまずは行って、その後サルデニアへ、それからコルシカに行くか、それともマルセイユかニースからコルシカへまず入るか、迷っています。まだ決めていません。
Q:フランスに住んでいなかったらどこで?と思ったことはありますか?
伊地知:最近はイタリアがいいと僕は思います。イタリア人たちは自分たちの料理を大切にして流行に流されていない、というところです。
Q:イタリアには流行がそれほどないかもしれないですね。北の国よりもいい食材がいっぱいあるからでしょうか?
伊地知:きっとそうですね。食の伝統が残っている。
Q:3人お子さんのうち誰かが「食」の方へ行ってもらいたいと思っていますか?
伊地知:微妙ですね。行ってもらいたいとは思っていますけれど、2代目となるともっと大変だということはわかっています。というのは親父の名前があって、いやピックなんてのは3代目で今があるわけですからすごいな、と思っていますが私の場合は自分が大変な思いをしてきたので、子供達にまたそれを、という部分では微妙です。でも本心を言えば継いでもらいたいという気持ちはあります。
Q:食べることが好きということはすでに伝わっていますよね?
伊地知:ええ。でも、子供達は「食べる」ことに結構難しいんです。ダンスをしている長女は油ものは嫌い。
Q:オリーヴオイルは大丈夫ですよね?
伊地知:オリーヴオイルは大丈夫ですけれど、サーモンの皮はダメとか、豚や牛の脂はダメと言って、全部はじきます。肉の赤いのはダメ、ロゼでもダメ、ウェルダンしか受け付けない。これは長女の話ですが、2番目は脂を含めて全部が好きで、3番目はまだ小さいんで、お姉ちゃん達の言うことを聞きながら選んで食べる。難しいです。長女はこの前日本の定食屋で食べるものがなくて困りました。大変でした。
Q:魚もダメですか?うちの娘もです。でも、成長するうちになんとかなりますよ。
伊地知:そうですね。子供の時に食べられなかったものが大人になったら食べられるということはよくあるじゃないですか、だから大丈夫だと思います。でも子供の食事には工夫が必要ですね。
ところでこういうインタビューってワインを飲みながらいつもされていますか?
(11区にある自然派ワインを置くバーでお話をうかがいました)
Q:いえ、インタビュー中に普通お酒は飲みません。
伊地知:私のせいですね、すみません(笑)。毎日飲んでいらっしゃいますか?
Q:ええ、ほぼ。
伊地知:すごいですね。僕は火曜日から金曜日まではあまり飲まないようにしています。
Q:えっ? お料理しながら少しずつ、ちびちびとか?
伊地知:いや、それはあったとしても、ガバガバは飲まない。お客さんに出すワインは飲むようにしています。
Q:お料理をしながら飲みたくならない?
伊地知:まあ。でも最近は我慢しています。いつまで料理が作れるかわからないじゃないですか。
Q:40歳でそんなことを考えていらっしゃる?
伊地知:料理人にとって、痛風と糖尿というのが職業病みたいなものです。今ギリギリなので気をつけるように言われています。体重を落とすと体が楽なので、最近は運動も。友人の影響で自転車に乗っています。週末に20kmぐらい走ると、足がガクガクします。
Q:もともとスポーツはしていらした?
伊地知:していましたよ、長距離マラソン。本当に健康だけは気をつけないと。先週から食べ過ぎて、本当にフォワグラ状態です。イタリアも美味しかったからなあ…食べちゃうんですよね。ところでパリでは美味しいパスタが食べられたりしますか?
Q:いや、なかなか。でも数軒あります。ただし美味しいものは値段が張ります。
伊地知:檜垣さんのお店はどうでしたか?
Q:とても美味しかったです。行かれるならばまずはお昼のパスタメニューを試してみてください。やっぱりパリにある他のイタリアンとは全然違う、と思いました。
伊地知:そうなんですね。いや、同じ年代なのでどんな料理を?と興味ありますね。
Q:同じ世代の日本人シェフは多いでしょう。シェフ同士の付き合いはありますか?
伊地知:幾人かとは。と言ってもパリへ来る機会というのがあまりないので。
(バーが流すBGMと通りから聞こえてくる雑音に)僕はこの音がダメなんです。こんなに音がある中で生活できるなんて、すごいですよね。東京にいた時も同じでした。だったら田舎に住んだ方がいい。今でもヴァランスの街中だってうるさいな、と思っているぐらいなので。
それにしてもパリは涼しいですね。
Q:ここ数年、夏はこういう感じです。その点ヴァランスの方は気温がきちんと上がっていいじゃないですか。
伊地知:暑いです。7月、8月は地獄の月です。
Q:暑いところを選んだ、というのは鹿児島出身ということに関係していますか?
伊地知:いや、たまたまです。でも、寒いところには行かなかったでしょうね。10数年もフランスに住んでいますが、パリから北へは未だに行ったことがないです。その代わりにスペインやイタリアの方には10回以上、20回近く行っています。北にも行きたいと思っていますけれど、体がついていかない。
Q:やっぱり血ですかね?
伊地知:多分。南の海へ行った方が個人的に楽しいです。
Q:ところで、料理以外の方面へ行きたいと思ったことは?
伊地知:いや、考えましたよ。料理の世界って、ほぼ丸一日厨房で時間を過ごすじゃないですか。周りの友達は午後の5時、6時に仕事を終えるわけです。そのことを考えると「あれえ?」とは思いました。けれどもやっていてやっぱり面白かったです。
Q:料理の何が面白かったんですかね?
伊地知:自分が作った、盛り付けた料理をお客さんに食べてもらうということです。そして「美味しかった」と言ってくれる。今でもそうだと思います。「美味しかった」と言ってもらうと嬉しいですけれど、「あれはちょっと」と言われると、相当ショックです。
Q:ショックでも、そのことをきちんと受け止めるわけですよね。
伊地知:もちろんです。日本人には建前があるのであまり言いませんが、フランス人は結構細かいことを言いますよ。
Q:例えばどんなことを?
伊地知:味付けが強かったとか、この組み合わせが悪い、魚の質が悪かったとか。ありがたいです。毎月、毎週来てくださるお客さんもいて、そういう人は本当に「ダメ」だと言います。そういうことはメモして、次回気をつけるようにします。毎週来てくださると結構大変で、そのお客さんの好みを自分の中で咀嚼して作っていかなければならない。あとは、皿が返ってくるときにお客さんがどういう風に食べたのかは必ず見るようにしています。夏はテラスがあるので厨房から様子が覗けるので、常に目を配っています。
Q:先月お会いしたシェフは、お客さんの反応を見るならばカウンターで仕事をするのが一番だとおっしゃっていました。
伊地知:その気持ちはわかりますが、僕は厨房で数人働く方がいいと思います。一人の料理というのはどうしても偏ってしまう、妥協もしなければならないし。人が数人いると、もちろん波はあるでしょうけれど、料理の幅が広がるし手の込んだ料理が作れると思っています。それから、僕がそうであったように、教わったことを若い人たちに伝えていきたいと思っているんです。
Q:教える、ということが大切だと?
伊地知:そうです。自分はいろいろなことを教えていただいて、 いろいろな人の仕事を見ながら、いいところを盗んできました。競争率の問題というかこれは例えですが、一人っ子と兄弟が数人いる家庭で育ってくるとやっぱり違うじゃないですか。
Q:全然違いますね。
伊地知:そういう意味で揉まれること、数人で学ぶという刺激を若い子たちにもあげられればと思っています。私が教えられることは教えますし、なにより若い子たちがいることによって、私も勉強させてもらっている。
Q:こうしてヴァランスを離れていらっしゃる間は、誰がレストランを?
伊地知:セカンドが客席数を15に絞ってやっています。明日、朝一のTGVでヴァランスに帰ります。
Q:今、したいことというのはありますか?
伊地知:船舶免許を取りたいです。
Q:自分で釣りをする?どのあたりで?
伊地知:地中海です。船って面白いです、もちろん遊びでということです。そのうち取りたいなと思っています。変な話ですけれど、みんなががむしゃらにいろいろなことをしている時に釣りをしたい、暑い船の狭い調理場で何かを作りなが釣りをしてみたいですね。パリで店をしたくない、というのもそこからきているのかもしれないです。地方で店を展開して、好きな南の土地に家族で旅行して、たまにパリへ来る、という方が私の中ではスムーズな考え方です。料理人というのは、自分の時間がなかなか取れない職業だと思います。ただ、こうして地方にいると、大都市にいる人間よりも自分の中で余裕と時間を持っていきたいなとは思っています。余裕がある人とない人では、違いますよね。地方にいるメリットというのはこの余裕だと思うんです。だから無理をしてパリで勝負しなくてもいいかな、と。地方は地方のやり方、人との付き合い方もあります。
Q:パリに無理している必要はない、という考え方には私も大賛成です。
伊地知:東京にいた時にもそう思いました。疲れます。地方の時間の流れ方の方が自分には合っている。子供にとっても面白いですよね、一緒に過ごす時間というのは本当に大切だと思っています。のんびりと、パリではできないことをやりますよ。贅沢な話ですが、地方にはこのパリの騒音がなくて、鳥の鳴く声がある。それがいいんですよ。それをやっぱり感じたいな、と思いますね。
Q:鹿児島でもそうでしたか?
伊地知:今の季節、夏休みに入ったら、もう蝉の鳴き声、蛙の鳴き声… 「心が休まる」という表現は人間が作りましたけれど、自然というのは、まさにその通り、そのまんまで、それが僕は好きなんです。
Q:伊地知さんのお店は、自然派ワイン好きの仲間、友人たちから「マスト!」とお墨付きだったのでお店でお料理をいただいてお話ができるのを本当に楽しみにしていました。ところがそのためにチケットを取ったら「スト」という通知が来て先月は大ショック!TGVで行けないとなると、車を運転しない私にとってヴァランスはパリからとても「遠いなあ」と感じてしまいます。リヨンとマルセイユの間の小さな街というイメージですが、観光客は結構いますか?
伊地知:観光客の来る店というのは、こうしてテロ事件などがあるとすぐに打撃を受けます。それを考えると、地元に愛される店を作った方がいいと思います。ただヴァランスは今、美食の街ということになっていますので、外からもたくさん人が来てくださいます。うちの店へ来てくださるお客さんの90%は地元の人で、残りの10%がそれ以外の地方や外国の方たちです。他の地方、外国からのお客さんや観光客の比重が多くなると厳しいかなと思います。何か、テロなどの事件があると客足がガクっと落ちる。まあ地元の人はあまりお金を落とさない、ということはありますけれど。
Q:お昼は30ユーロですよね?
伊地知:そうです。
Q:その料金というのは地元で受け入れられている?
伊地知:ええ、うちの店は街の中心部ではなくて少し外れていて、横に無料駐車場があるので街の人も車を使ってきてくれる。
Q:中心部からどのぐらい離れているんですか?
伊地知:徒歩で5分程度です。ぜひ来てください。
Q:ええ、TGVのストがない時に必ず。
伊地知:美味しいワインがたくさんあります。
Q:何より美味しいご飯をいただきに。
今日は本当にありがとうございました。
La Cachette
Adresse : 16 rue des Cévennes, 26000 ValenceTEL : 04.7555.2413
URL : www.laubergedu15.com/index.php
火-土 12h00-14h30/19h30-23h00 コースメニュー30€〜(お昼)65€〜(夜)日月定休。