文・向風三郎
象徴の森のブラックバード、オーレリアン・メルル。
メルルは黒ツグミ。姿こそあまり美しくないが、えも言われぬ美しい声で鳴く。ビートルズの 「ブラックバード」、シャンソンの 「さくらんぼの実る頃」に歌われたおしゃべり鳥だ。こんな音楽的な名前だから、てっきり芸名だと思っていたら、オーレリアン・メルルは本名だそう。彼は一風変わったアコースティックでオーガニックな音楽が特徴の自主制作レーベル、ル・ソール(Le Saule柳)の創立メンバーで、同レーベルからは昨年アントワーヌ・ロワイエが日本の音楽雑誌の年間ベストに選ばれるなど、一部でじわじわとファンが増えている。
『 ReMerle(ルメルル=メルル再び)』はこの6月15日に出たばかりのオーレリアンの5枚目のアルバムで、たくみなギターのフィンガーピッキングの弾き語りを土台にしたフォーキーなシャンソン集だが、アントワーヌ・ロワイエ、レオノール・ブーランジェ、ジャン=ダニエル・ボッタら、ル・ソールの仲間たちが民族的な打楽器や弦楽器で介入して、アジア風だったりブラジル風だったりする雰囲気を創り出している。このアルチザン的な音作りはル・ソールのアーチストたち全員に共通していて、「僕らはシャンソンのアルチザンさ」とメルルは公言している。自作詞はともすればやや高踏的で、難解とは言わないが、和訳は難しそうだ。
「僕は書く量がとても少ないんだ。ある主題について語ることや物語を展開することが好きじゃない。それぞれの歌にはその主題とその存在理由があるけれど、僕はその周りを回るんだ。僕は不確かなものについて書くのが好き。僕が美しいと思った表現を通して複数のことを喚起できるような。でもそれを見つけるには多くの方法も探索もない。僕の歌詞があまりに説明的で自己完結してしまっていると判断した時には僕はそれを排除する。いくらかの奇妙さと暗示性を取り戻すためにね」
2曲めの「Grand Cerf 大鹿」はフランス国営ラジオFIPのプレイリストにのり、耳にした人もあるかもしれないが、毎日鹿の内蔵を取り出す仕事をしている精肉職人の嘆き節のような歌で、皮肉っぽくコミカルさもあるメロディー展開。「仕事に頑固な人間のポートレートだよ」と私に説明したが、視点は斜に構えている。
逃去る人々は
多くの場合
俺たちを少しだけ持ち去っていく
親指と爪の間に挟んで
– 7曲め「La Fugue 遁走」
トーンはこのように無説明で象徴的だ。ジャケットに19世紀末のスイスの象徴主義画家アルノルト・ベックリンの作品「牧神と黒ツグミ (メルル)」を採用している。インターネットで偶然見つけたそうだが、牧歌的でも神秘的でもある鳥と遊ぶ半獣神の姿はアルバム全体の雰囲気をよく反映している。
メルルはパリを避けてブルゴーニュ地方ヨンヌ県で暮らしている。「パリには数年しか住んだことがないし、僕は群衆や騒音から逃げ出して自然の静寂を求める傾向があるんだ。パリは僕の目にも魅力的な町であり続けるが、そこに行くにはどうしてもという理由がないと」
彼は1979年パリ圏の生れで、育ったのはアンジュー地方。「僕は最初テレビでかかるような音楽しか知らなかったんだ。最初に買ったレコード?恥ずかしくて拷問されたって絶対に教えないよ。子供の頃、最初に作曲を始めたのは僕の最初のコンピュータ上で、87〜88年頃、僕は小さなシンセサイザーも持っていた。そうやってシャンソンやエレクトロニック音楽を作曲し続け、18歳の時にクラヴィノーヴァとクラシック・ギターを買った。録音したものを最初に公に発表したのは2002年のこと。音楽的影響?第一にシャンソン、第二にイギリスのポップ、第三にブラジル音楽だけど、他にもエレクトロ、ジャズ、印象派音楽…等々」
仲間と設立した自主レーベル、ル・ソールは、その独創性と前衛性において、1965年にピエール・バルーが創設した独立レコード会社サラヴァの初期の頃(バルー、ジャック・イジュラン、ブリジット・フォンテーヌ、アレスキー・ベルカセム等)に似ているとよく言われる。メルルはこのアルバムの8曲めでピエール・バルーの1972年アルバム『サヴァ・サヴィアン』に収められた「80 AB」(詞バルー/曲アレスキー)をカヴァーしていて、それが素晴らしい出来だ。
「サラヴァはモデルかって? サラヴァには最初お金があったんだ (註:クロード・ルルーシュの映画『男と女』の大ヒットで得られた大金)。そこが僕たちのモデルになりえない最初の点。しかしサラヴァのアーチストたちはブラジル音楽やアフリカ音楽に道を開き、大衆に普及させた。もしもモデルがあるとすれば、この多文化混在という点においてだね」
アルバムの中には自作詞ではなく、40〜50年代の無名市民の書簡を詞として曲をつけたものが3曲ある。俳句のように短い絵ハガキ文(5曲め)、アルプスに住むご婦人の災難を長々と綴った手紙(6曲め)、そして太平洋戦争末期(1945年4月)に沖縄に上陸したひとりの米兵がフランスに住む女性に宛てた手紙(10曲め)。この3つ目は「オキナワ」と題され原文通り英語で歌われていて、「我々米兵は全戦線で狂信者たちを打ち負かしている。こちらも情勢は厳しいが、連合国の全面的勝利の日がきっとやってくる」と書いている。ひとつのヴィジョンであり証言である。論争のタネにしないでほしい。メルルがたまたま古物市で見つけた無名書簡にあった歴史的証言性に驚いて曲をつけただけなのだから。
じわじわと日本で愛好者を増やしているル・ソールとオーレリアン・メルルの音楽。日本へのメッセージももらった。
「あなたたちの僕たち、およびフランス文化への興味にとても感謝している。僕たちサイドでは日本文化は断片的にしか届いてこないし、マンガやニンテンドーのようなものが圧倒的だ。僕が日本文化で最も好きなところは、トータルな異郷感覚(デペイズマン)を与えてくれること。まるで違う惑星を発見したような。石井克人の 『茶の味』は僕の最も好きな映画のひとつ。黒沢清の『回路』や小津映画も。音楽ではリトル・テンポ、トクマルシューゴ、高木雅勝を高く評価している。じゃあ、これくらいで失礼するよ。これからマリオカートで遊ぶんだ」
長身で繊細な好青年、オーレリアン・メルルは8月27日(9区リモネール)でライヴ。
日本で入手が難しい場合はこちらのリンクへ:
http://elsurrecords.com/2015/07/02/aurelien-merle-remerle/