「XはYの知られたくないことをあれこれ詮索してはいけない」という命題は、しごく当たり前の倫理と論理だ。たとえば、バスの中で吊り革につかまって、ふと外の景色が気になって身を乗り出したら、前に座っている女性は打っていたメールを盗み見されると思い、手にした携帯電話を胸元に寄せるだろう。
だが、6月24日は、この命題が皮肉なまでに交錯した日だった。それは同日のリベラシオンとDirectMatin両紙の1面の対比が如実にあらわしている。前者は06年から12年間にわたり、シラク、サルコジそしてオランドと、3代のフランスの大統領の携帯電話の会話などがアメリカの国家安全保障局(NSA)に盗聴されていた事実をウィキリークスが暴露したと伝え、後者は議会で演説するヴァルス首相の写真に「緻密な監視」と見出しをうち、情報収集法が成立すると報じた。
この日一日、フランスのメディアはアメリカのスパイ疑惑に沸いた。冒頭の命題は、Xはアメリカ、Yはフランスに置き換えられた。朝からエリゼ宮で国防評議会が、午後には仏米大統領電話会談が開かれ、夕方には在仏アメリカ大使が外務省に呼び出された。果たしてオランドがオバマにFuck You! と啖呵(たんか)を切り、ファビウスが大使にお説教をたれたかどうかは、残念ながら詳らかではない(興味のある方は、アメリカ国家安全保障局にお問い合わせのほど)。
フランスはこの日、入浴中に覗き見をされた女性のように、被害者意識につつまれた。「アメリカは信頼を裏切った」というのが政府の公式な見解だ。
ところが、同じ日に国民議会で「XはYの知られたくないことをあれこれ詮索してはいけない」という命題が否定されていたのを、多くの人は見逃した。5月に小欄で取り上げた、情報収集法がついに成立したのである。「詮索するな」とアメリカを牽制したばかりの首相が、論理をかなぐり捨てて、国家をX、国民をYに当てはめて、「あれこれ詮索してよろしい」という逆の命題の主張をした。バカロレアの哲学の答案なら減点ものだろう。ルソーの『社会契約論』を引くまでもなく、国家というものは国民の信頼によって成り立っているからである。
もし、「個人と国家ではレベルが違うのだ」という言い訳がまかり通るとしたら、2015年6月24日は矛盾の日として歴史の中に残るかもしれない。(馬)