大杉は語学の天才?
僕は精神が好きだ(全文)大杉栄
僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭いやになる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。
精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。生れたままの精神そのものすらまれだ。
この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義や人道主義が好きだ。少なくとも可愛い。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。
社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭になる。
僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。しかしこの精神さえ持たないものがある。
思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そして更にはまた動機にも自由あれ。
日本でもよく知られている『ファーブル昆虫記』。これまでに様々な翻訳家によって訳されてきたが、日本に初めて紹介したのは、実は大杉栄だった。陸軍幼年学校、そして東京外国語学校でフランス語を学び、死の直前にはサン・ドニのメーデー集会で演説をしたほどのフランス語使いだったが、ほかにも英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ロシア語を解し、学生時代には小学校の一室を借りて日本でまだ知られていなかったエスペラント語の教室を開くほどのポリグロットだった。
彼の残した有名な言葉に「一犯一語」がある。政治犯として何度も投獄された彼は、ひとつの刑期が終わるまでに外国語をひとつマスターすることを自らに課していた。囚人仲間の荒畑寒村によれば、大杉は懲役と課されていた下駄の鼻緒づくりの作業を器用に半日で終えて時間をやりくりし、勉強していたという。
だが、どれだけ時間があっても、CDなどの音声教材がない時代に何カ国語も習得するのは至難の業だ。何か語学の天性のようなものがあったとすれば、彼が子供の頃から吃音、つまりどもりに悩まされていた、ということだろう。
吃音は、外国語や歌を練習することで矯正できるといわれている。大杉が幼年期を過ごした新潟出身の田中角栄も吃音児だったが、浪花節を習って治したという。立場も時代も違う二人だが、ひろく人々の心をつかんだ彼らの話術、言葉が、実は〈どもり〉という子供のハンディキャップをバネにして生まれたというのは興味深い。