「ギロサフト・ショバス! クリスマスおめでとう!」

—母国語をつかう〈グルジア編〉—

 15区のRue de la Rosière にある集合住宅の地下に降りると、お香の匂いが鼻孔を刺激した。小さな集会所のような空間の奥にはアーチに縁取られた祭壇が控え、側面の壁にはイコンが掲げられている。幼児から老人まで30人近い人が、ローソクを手に聞きなれぬ言葉で祈りを捧げている。入り口の傍らのかごには温泉まんじゅうのようなものが盛られている。薄く白いせんべいのようなカトリックの聖体ばかり見慣れているから、それがミサの最後に信者たちに与えられるパンであると気づくのに、少し時間がかかった。外とは別世界のようなサント=ニノ・グルジア正教会の崇高な雰囲気に、思わず息を飲んだ。
 典礼が終わると、アーチル・ダヴシャシュヴィリ首席司祭が「私たちのコミュニティについて知りたいなら」といって、タリエル・ズーラビシュヴィリを紹介してくれた。1930年生まれのタリエルさんは、1929年に創設されたこの教会で洗礼を受けた最初の人、いわばフランスのグルジア移民社会の生き字引のような存在だ。
 独裁者スターリンの祖国であり、2008年にロシアの侵攻を受けたことも記憶に新しいが、グルジアは、黒海の東岸に位置し、ロシアやアゼルバイジャン、アルメニア、トルコと国境を接する。前々回紹介したウイグルと同じように文明のるつぼとして独特の文化を形成しながらも、つねにロシアやペルシャなどの大国による覇権争いに巻き込まれた。ソ連によって宗教が弾圧されたり、第2次大戦中の司祭がゲシュタポに捕らえられてアウシュビッツで亡くなるなど、教会も歴史の変遷を身をもって体験した。
 タリエルさんは、フランスへのグルジア移民の流入には祖国の政情が深くかかわっているという。彼のお父さんの世代である移民の第一波はロシア革命、第二波はそのすぐ後の赤軍の侵攻、第三波は第二次大戦、第四波は戦後の冷戦下、とそれぞれの体制を逃れてフランスにやってきた。ソ連崩壊後も、留学や経済的な理由から多くのグルジア人が国を離れ、第五波をなしているというが、ミサのあとで在仏グルジア人協会のニノさんが、渡仏してきたばかりの同胞たちにフランス語の初歩を教えているところを見ると、この流れはまだ続いているようだ。
 今抱えている問題は、次世代の教会を担う司教となれるような人材の不足だという。パリには19区のビュットショーモン公園の近くに聖セルジュ学院という正教会の神学校がある。アーチル司祭もパリで生まれ、少年時代をソ連政権下のグルジアで過ごしたあとここで学んだ。しかし、グルジア語ができる卒業生は見つからない。「典礼はやはりグルジア語じゃないと…」。そんな嘆きから、ふと、神と人間の間には、実は母なる言葉があるのだと気づいた。だから、今年はこの言葉で終わることにしよう。「gilotsavt shobas(クリスマスおめでとう)」(浩)
Pirosmani : 6 rue Boutebrie 5e  01.4326.1765
M°Cluny – La Sorbonne  12h-15h/19h-0h。
タリエルさんおすすめのレストラン。グルジアワインが味わえる。夜のメニューも23.5€と良心的!


 

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