ユゴーの食べ物に対する嗜好(しこう)は、ちょっと変わっていた。例えば、朝食には生卵ひとつをごくり、そして砂糖なしのコーヒーを流し込むように飲んでいたという。
一方で、ユゴーは食堂の内装やテーブルを彩る器やカトラリーにはこだわっていた。朝食用の卵の殻を割るのは象牙(ぞうげ)製の柄がついたナイフと決まっていたし、銀食器に対する思い入れも人一倍だった。彼の生涯の恋人ジュリエットは、大中小のフォークやナイフ、スプーンそれぞれの個数をリストにして残しているほど。孫に贈った銀のフォークには、「私は、おまえをすでに愛していた。おまえの父を通して、ジャージー島で」と刻んである。大切な銀のフォークにメッセージを刻んで愛孫にプレゼントするようなところに、家族をこよなく愛したユゴーの人となりがうかがえる。ピクニックの翌日に「銀のフォークがひとつなくなったけど、その後見つかった」とわざわざメモを残していたりするのも可愛らしい。
『レ・ミゼラブル』(1862年)に登場するミリエル司教は清貧を通していたが、来客時にはお気に入りの銀食器をテーブルの上に並べさせた。「司教がだれかと食事を共にする場合には、無邪気な見栄ではあるが、卓布の上に六組の銀の食器をすっかり置いておくのが家の習慣となっていた。その優しい贅沢の見栄は、貧しさをも一つの品位たらしめているこの穏和な厳格の家の中にあって、一種の子供らしい愛嬌であった」(豊島与志雄訳)
そんな前置きがあるからこそ、愛用していた銀の器を盗んだ元囚人のジャン・ヴァルジャンを許すばかりか、さらに燭台(しょくだい)を与えるミリエル司教の行為に、読むものは心を打たれる。そして、人を信じられなくなっていたジャン・ヴァルジャンがこの瞬間から改悛(かいしゅん)し、新しい道を力強く歩んでいく様に、思わず拍手を送りたくなってしまうのだ。(さ)