幻の川ビエーヴルの全流域を訪ねて。

ビエーヴル・ルネサンス。

アルクイユ=カシャンの水道橋。すぐ近くにエリック・サティが住んでいた質素なアパルトマンがある。

ジャンティイの水の無い川。水音がするので行って みたら下水に流れ込む音だった。でも再生候補地です。

 アントニーで地下に潜ったビエーヴルは、RER・B線の東側に抜けて北上します。フレンヌの刑務所を見上げる辺りから、ライ・レ・ローズにかけてのディヴィジョン・ルクレール大通り沿いに、本格的に再現されたビエーヴル川が見られます。広い道路を縮小して造られた緑地帯の地下深くに巨大な下水道を通し、その上にきれいな水を流すという二重構造。増水したら下水道に水を逃がす仕組み。この、下水ときれいな川の水の分離が、ビエーヴル再生のキホンなのです。川の流路と畔の植生は自然に任せていて、若木や葦などが伸び始めています。

 1900年のカシャンの町には、120軒もの洗濯屋があったという。大通りの裏手、新しい公共集合住宅の並ぶ中にも、再現された流路が見られます。ただここは素材の洗濯、いや選択が悪い。模造敷石とコンクリートの川で、周りの植物もいかにも植木という感じなのです。カシャンとアルクイユの境には、17世紀初頭に造られたヴァンヌの水道橋がそびえている。ビエーヴルはこのアーチの下を流れていました。ここからジャンティイにかけても、流れの跡は見つけにくい。その後の開発で、街の姿がかなり変わっているからです。

 ジャンティイの北端、ラスパイユ通り裏の、フタされた流路の場所に水の無い川が造られている。これは今進められている水辺の復活ではなく、「記憶の川」ということらしい。ビエーブルの畔に建っていたサン・サチュルナン教会裏から、ガードをくぐるとパリです。 

 

パリ13区、グラシエール。

ポテルヌ・デ・プープリエのガード。向こうは 旧環状線プチット・サンチュールのガードです。

 パリのビエーヴルの出発点は、外環道路のすぐ内側ケレルマン公園。池にカエルや小魚が泳ぐ公園を出て、ポテルヌ・デ・プープリエ通りから流れの跡をたどります。

 ビエーヴルは、トラムが走る内側の環状道路をくぐり、そのまま北へと流れていた。しかし、この道は上り坂なのです。市内の流れをたどると他にも地形に逆らっている? というところがある。いちばんの理由は、長い歴史の中で地形が人工的に変えられてきたこと。そして、ビエーヴルの流路も変えられてきた。無数にあった水車が、低い水位の水を高い位置に移していたからです。

  ラベ・ジョルジュ・エノック広場の周囲には、1930年代に建てられた一軒家が集まっています。先に引用した『家なき子』の一節は、おそらくこの辺りのこと。その部分のすぐ前には、「このへんはラ・メーゾン・ブランシュとグラシエールの間にある土地で(略)いちばんきたない陰気な所だと(略)信じられもしていた。(略)ビエーヴル川と言えば、たいてい人がセン・マルセルの場末で、工場地になっているというので、頭からきたない所と決めてしまうのであるが、…..」とある。この時代、5区の流域は、既に汚染が進んでいた。アジェやマルヴィルの写真で、このころのビエーヴルのようすがわかります。 

 トルビアック通り付近でビュット・オ・カイユの高台にぶつかって、大きくターンした川筋は、ランジス広場へ。やはり30年代の一軒家が並ぶシテ・フローラルも近く、のどかな空気の場所だけれど、南側の旧国鉄用地の再開発で、ここも大きく変わろうとしている。再開発地区の広場側に、短いけれど新しいビエーヴルが造られています。

ランジス広場に造成中の新ビエーヴル川。 元の流路とは少しズレている。

 ビエーヴル復活計画では、ほとんどが街路の内側に隠れている元の流路とは多少ズレても、可能な場所に、水路を造ろうとしているのです。

 この辺りの流路は、今の道路と一致しているところが多い。ランジス広場で再び向きを変えた二筋の川に挟まれた地域は、冬に張った氷を、石を掘り出した跡の地下道に保存し、それを夏に売っていた。グラシエールの地名の語源です。

 

ゴブラン織、そしてセーヌへ。

流れのあったクルールバルブ通りのゴブラン織製作所。石灰分の少ない水が染色に適していた。

終点セーヌ川、オステルリッツ河岸。

 ヴェルニョー通り沿いを北上した川は、メトロ6号線の高架があるオーギュスト・ブランキ大通りを渡り、『ル・モンド』の社屋の下から、ルネ・ル・ギャル公園へと向かう。この公園は二筋の川の中州だった。片方の川が流れていたクルールバルブ通りのレストラン「エチェゴリ」の壁に、«Cabaret de Madame Grégoire» の文字が残されている。昔ここは川畔(かはん)の人気キャバレーで、ベランジェやヴィクトル・ユゴーが常連だった。

 川筋に沿ってカーブしたこの通りに、ゴブラン織製作所の17世紀の建物がある。15世紀にジャン・ゴブランが開いた染色工場でゴブラン織が創られ、17世紀に王立工場になって、王宮などのための織物を生産していた。ゴブラン大通りに正面がある「ギャルリ・ゴブラン」(月休館)では、ゴブラン織と、モビリエ・ナショナル所蔵の家具類を展示している。

 アラゴ、ポール・ロワイヤルの大通りを渡った川は、低い位置を走るパスカル通り付近を抜け、ムフタール通りの下に出ます。ゴブラン大通りがモンジュ通りにぶつかる辺りで一筋になった流れは、サンシエ通りの南側を行く。サンシエの大学構内も流路だった。植物園脇のビュフォン通りに並ぶ自然史博物館別館の裏手で、袋小路になっているニコラ・ウエル通りを行くと、オピタル大通りに出ます。

 オステルリッツ駅構内を横切って、セーヌに流れ込む。メトロ5号線の高架の辺りに流入口があったらしいけれど、今は跡形もない。

 とにかくここが、ビエーヴル川の終点です。

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