ビエーヴル川は、川といってもリヴィエールと呼ばれる小さな流れの川です。水源の森から東に向かう上流のほとんどは、森林や野原の岸辺に小道があって、快適なハイキングコースになっている。
向きを北に変えパリに向かうアントニーから下流は、市街地の暗渠探索区間です。全長が約36km。といっても遠回りさせられたり寄り道したりで、たぶん倍は歩いたかな。
森と泉に囲まれて。
RER・C線の終点ヴェルサイユ・シャンティエの隣プチ・ジュイ=レ・ロジュで降りる。まるで山の中の駅。板張りのホームから下りて少し行くと、小さな橋があって、木立の中を小川が流れている。まずはここから水源まで遡(さかのぼ)ります。
ヴェルサイユ宮殿へ飲料水を送るために、17世紀に造られたビュックの水道橋をくぐる。ビュックの村から、小川に沿った遊歩道を行きます。大空の下、澄んだ流れに鴨やシギが遊び、牧場の馬がのんびり草を食んでいる……。
エクトル・マロ作の『家なき子』に、ビエーヴル川が出てきます。「やなぎやポプラが青あおとしげっている下を水が流れていた。その両岸には緑の牧場が(略)小山のほうまでだんだん上りに続いていた。(略)うずらや、こまどりや、ひわやなんぞの鳥が、ここはまだいなかで、町ではないというように歌を歌っていた」という一節がある。まさにこの風景。でもじつはこれ、出版された1887年頃のパリ市内での描写なのですが……。
さて、森の道に入るとほどなく、ジェネストの池の畔(ほとり)に出る。静かな水面に釣り人が竿を伸ばしています。さらに深い森を抜けるとギュイヤンクールの村。いくつかの連続した池をまとめてミニエールの池(群)と呼んでいる。もとは17世紀に造られた池だけれど、今は自然保護区指定の、緑と水の別天地。このミニエールの池一帯がビエーヴルの水源なのです。
ジュイの布、ルドンが過ごした村の墓。
再びプチ・ジュイ=レ・ロジュの駅をスタート。ここからは流れに沿って歩きます。坂道を上るとジュイ・アン・ジョザスの町。街道沿いのひなびた家並に建つ館「ミュゼ・ド・ラ・トワル・ド・ジュイ」(月休)に入ります。1760年にオベルカンフが創業したプリント布地のミュゼ。良質なビエーヴルの水を使って生産されたジュイの布地は、そのいかにもフランス的なパターンが宮廷貴族に受け、川の畔に大きな工場があって19世紀半ばまで操業していた。今はその跡が流れを巡る公園になっています。
ジュイにはやたらに立派な屋敷が多い。ヴィクトル・ユゴーが滞在した館などを眺めながら川に戻り、流れに沿ってビエーヴル村に出ます。商店やカフェも並ぶビエーヴル村は、住み心地がよさそう。村はずれにフランス写真博物館(月・火休館)があるけれど今回はパス。その代わり、画家オディロン・ルドンの墓を訪ねる。1916年にパリで死んだルドンは、晩年の夏を過ごしたこの村に葬られた。高台の墓地の奥にルドンの墓を発見。野の花に覆われた、いかにもルドンらしい墓でした。
小川歩き再開。次第に平坦になって畑や雑草の生い茂る荒れ地も増えてきたら、イニーです。
流れの最終コース、緑の住宅街。
イニー駅近くに、小さなゴルフ場の柵がある。ここからはヴェリエール・ル・ビュイッソンの町。小川はこの柵の中。柵の外にも分流の川筋があるけれど水の無い川です。 ゴルフ場の脇を抜けて落ち着いた田舎町の雰気の街に入る。パリ通りに、今は使われていない洗濯場が残っています。
川は住宅地の中を流れていて、川沿いに歩くのは難しい。流れを探しながらアントニーとの境へ出る。遊歩道の上に、金網と木立に囲まれた大きな遊水池 «Bassin de la Bièvre» が隠れている。洪水の浸水を防ぐため、1970年代に造られたこの池は、自然保護区に指定され、148種もの鳥たちの天国で、水質もいいそうです。
ここから続くアントニーのエレール公園には、再現された小川が流れています。