ユゴ―の食風景 -3-

 1862年3月、ガーンジー島で亡命生活を送るヴィクトル・ユゴーは、島の貧しい子供たちを毎週自宅に招待し、共に食卓をかこんだ。カトリックやプロテスタント、イギリス人、フランス人、アイルランド人…宗教や国の分け隔てなく集められた子供たちの数は当初12人だったが、その数はすぐに40人に達したという。
 毎回必ず供されたのは肉、そしてワイン!  これは、1848年にある調査委員会によって医学アカデミーに寄せられたレポートの研究結果を、ユゴーが取り入れたもの。それによると、子供たちに動物性の食物と少量のワインを与えることで、くる病や結核性頸(けい)部リンパ節炎を防げるとされていた。
 この食事が功を奏したのか、1867年までにユゴーの家に招かれた子供の中で死亡したのは「たったの」ふたり。ユゴーの始めた「貧しい子供たちの食事」は各国の新聞などで紹介され、スイスやイギリス、アメリカでも同様の食事会が開かれるようになったという。
 単なる文学者にとどまらず、常に社会の動きに敏感であったユゴーは、「貧しい子供たちの運命を直ちに改善するための実践的な試みについてのアイデア」を、長い間あたためていた。亡命先でそのアイデアをとうとう実行に移すことができたユゴーは、「亡命に感謝している」と述べ、国を追われる不運を逆に味方にし、創作と社会奉仕に打ち込んだ。
 クリスマスには子供たちと親を招き、ケーキやサンドイッチ、フルーツ、ワインを供し、おもちゃや衣服をプレゼントした。ユゴーにとって、この行為は単なるチャリティーではなく、兄弟愛からくるものだった。子供たちにも「自分よりも貧しい同胞に、自らが所有しているものの一部を与えることは、すべての人にとっての義務なのです」と諭した。(さ)