力量があるアーティストでも、良い展覧会になるかどうかは、テーマや展示の仕方で変わってくる。知っている作家のものでも「こんな見方もあったのか」と新たな発見があったり、考えるきっかけを作ってくれるのが良い展覧会だ。同時期にパリの2カ所(グランパレとロダン美術館)で開催されたロバート・メイプルソープ(1946-89)の展覧会を比べると、それがはっきりわかる。
今回取り上げるのは、ロダン美術館のほう。彫刻と写真という、異なる表現方法を使ったロダンとメイプルソープを、同じような題材のもとで比較対照させた2人展で、両者の特徴や良さを引き出し、二人へのオマージュになった。それに比べ、グランパレでのメイプルソープ展(7/13迄)は安物のお茶を飲まされたような出来だった。
性を大胆に扱ったメイプルソープの作品は「ポルノか芸術か」の論争の対象になり、当局から展覧会場で作品取り外しを命じられることが何度もあった。
性が芸術の重要な要素だったことはロダンも同じだが、ロダンは体から発散されるエロティスムと、女性への作者自身の欲望を追求したのに対し、メイプルソープは造形の美しさをどれだけ写真で完ぺきに表現できるかに力を注いだ。その結果、彼の欲望は、作品上ではロダンのそれより抽象化されている。
「200年前に生まれていたら彫刻家になっていただろうが、写真は素早く目で捉えて彫刻することができる(から写真家になった)」と言ったメイプルソープの写真は、その言葉通り彫刻的だが、筋肉の内部の動きが見えるようなロダンのエネルギッシュな「動」に対し、メイプルソープには静的な冷たい美しさがある。彼が撮った人体は鋼のようにしなやかで硬い。人体も植物も、非現実的で高貴だ。彼の写真には、ロダンの彫刻に比肩する格の高さがある。
会場では、テーマ別に二人の作品が並列されている。細部の動きへのこだわり、花や人体と花瓶の組み合わせ、体にかけた布が作るひだ、身体表現など。メイプルソープがどれだけロダンに触発されたかが想像できる。
メイプルソープは43歳の若さでエイズで死んだ。濃く、短く、燃焼し尽くした人生だった。(羽)
画像:Michael Reed, 1987, MAP 1728 © 2014 Robert Mapplethorpe Foundation, Inc. All rights reserved -Auguste Rodin (1840-1917), L’Homme qui marche, vers 1899, bronze, 85 x 59,8 x 26,5 cm, Paris, musée Rodin, S. 495 © Paris, musée Rodin, ph. C. Baraja
ロダン美術館:79 rue de Varenne 7e 9月21日迄(月休)