2009年から改装工事が続いていたピカソ美術館の再オープンが遅れに遅れ、それでも6 月を期待していたピカソの息子、クロード氏はフィガロ紙(5/2)のインタビュー記事で「フランスは父や私を全くバカにしている ! 」と怒りを爆発させた。憤慨するのは彼だけでなく、美術館の周りにあるブティックなども観光客が訪れず、果たして美術館の再オープンまで持ちこたえられるかの瀕死状態にある。6 月の再開が無理なら7 月に、とアンヌ・バルダサリ館長が提案すれば、フィリペッチ文化相は、監視員40人の採用が遅れているので、再開は9 月中旬か下旬と、5月9 日に発表した。6 月から9 月までの観光シーズンをフイにするとは ! とクロード氏は激怒し、館長・文化相・関係者の関係が日に日に悪化していった。
ピカソ美術館再開の問題は、実は今年1月頃から不満の声がくすぶっていた。修復工事担当の建築家ボダン氏によれば、工事は4月末に完了しているので6月の開館は可能だったはずと表明。修復・再開に関っている職員らによれば、同館長の「独善的、専制的態度」が人間関係と館内の空気を悪化させていたという。
バルダサリ館長は1986年以来、ポンピドゥ・センターの保存・管理部を経て1992年、ピカソ美術館の資料部長に着任し2005年、館長に就任。ピカソ関係の写真や資料を専門とし巨匠の遺族とも信頼関係を深めていた。2009年から5年間の休館中、大規模なピカソ展(グランパレでの〈ピカソと巨匠たち〉など)を企画し立派なカタログも作成した。そして休館中、数カ国に数百点の作品を貸し出し、計3100万ユーロの収入を得ており、修復・工事代総額5200万ユーロのうち60%を補ったことになる。残りは国家が負担する。
問題になっているのは、昨年10月以来、美術館理事会(3 人のうち1人はアンヌ・サンクレール・ストロース=カーン前夫人)も存続しておらず、運営の舵(かじ)取り不在の状態にあること。責任は誰に? とメディアも騒いでいるなか、文化庁総監は3月の調査で「バルダサリ館長の美術の科学的知識は優秀だが管理業務とかみ合わず、館内の雰囲気が極度に悪化している」と報告している。
5月10日、半数の職員20人余が「館長の専制的態度や独りよがり、運営能力の欠如」を指摘し、彼女の辞任を要求した。四方八方からの批判を浴び四面楚歌のバルダサリ館長の契約は来年7月までだが、ここで首をすげ代えなければと文化相は5 月13日に彼女を解任した。6月3日、文化相は新館長にメス・ポンピドゥ・センターのロラン・ルボン館長を任命した。造形美術専門のルボン氏は、数年前ヴェルサイユ宮殿での企画展、ジェフ・クーンや村上隆のポップアート展で話題を呼んだ。内部分裂の後遺症を残すピカソ美術館の新館長としてルボン館長の統制力に期待したい。
ピカソ美術館の所蔵作品5千点(うち絵画300点、彫刻300点)は1973年、1979年、1990年とピカソの遺族の相続税代わりに代物弁済されたもの。展示スペースも1985年開館時の1600m2から3800m2に拡張されている。世界からの観光客に人気のあるピカソ美術館は、マレ地区の名所として将来を背負っているのである。(君)