ハイクは詩作のソルフェージュ?
友人のおじいちゃんが80歳の誕生日を祝った。宴もたけなわになり、主役がステージに上がる。叩き上げの商人として人生をおくり、みんなを笑わせるのが大好きな人のこと、きょうもどんな芸を見せてくれるかと期待していたら、「まだボケちゃいないよ」と、70年以上前に村の小学校で暗記させられたラ・フォンテーヌの『アリとセミ』を朗唱しはじめた。詩というものがいかにフランスの一般の人たちの中に深く根をおろしているのかを見せつけられるようだった。
「昔の小学校の授業は暗唱と書取り(ディクテ)中心」と説明してくれたのは中学・高校の国語教師をしている次女。今でもフランスの子供たちはたくさんの詩を暗唱させられるという。だが、詩をただ暗唱し読解するだけでなく、自分で書いて表現することを教えようという新たな試みもなされている。そして、詩作の手近で明快な初歩の教材として使われるのが日本の俳句だという。
フランスの子供たちが、5・7・5のリズムでポエジーの世界に入り込んでいく姿を見てみたい。1月の末に世界有数の東洋美術のコレクションを誇るギメ美術館で、18区の小学校の国語の授業の一環として、CM1(日本の小学4年生)の児童19名が俳句をつくる「アトリエ」があると聞き、お邪魔してみた。すでに基礎を教わっている子供たち。きょうは「夢」をテーマに俳句を詠んで、JAL財団が主催の「世界こども俳句コンテスト」に応募するのだという。
好奇心旺盛な小学生たちのこと、めずらしい仏像や茶室を前に、みんな興奮してしまい、かまびすしい。だが、詩人で講師のクレールさんが、日本の仏壇でよく目にする鉢形の鈴(りん)を鳴らすと、急に静かになり、みんな目を閉じた。「ローソクの火も、見つめれば語りかけてくる」。大日如来像の前でしばし瞑想(めいそう)の時間があったあと、子供たちはA4の紙を折ってヒモで綴じた自作の俳句帳を手に、館内に散っていった。そして「むずかしいね」、「手伝って」などといいながら庭の植物や館内の展示物に目を凝らし、遠くに聞こえる街の喧噪(けんそう)に耳を傾けた。
後ろからそっと彼らの手元をのぞいてみると、かならずしも俳句の形になっていなかったり、フランス語の綴りに間違いがあったりするものの、大人が決して思いつかないような、感性に貫かれた句が並んでいた。館内を2時間も駆け回ったあと、「次の授業があるから」と、先生と子供たちはこんな句を残して、地下鉄の駅に消えていった。
Assis sur la fleur
Le bouddha qui nous regarde
On dirait qu’il vole
花に座し
見守る仏
空を飛び
彼らの句帳からどんな秀句が生まれるのだろう。コンクールではぜひとも彼らに上位を独占してもらいたい。
写真は〈universlam〉提供。