デザートにポエムはいかが?
アメリカ東部の寄宿学校の高校生たちが、毎夜、寮をぬけだして、近くの洞穴で詩を朗読しつつ、タバコを喫い、酒を飲んで自由を謳歌(おうか)するという「死せる詩人の会」なる集いが、ピーター・ウィアー監督作品『いまを生きる』の中に出てくる。やや頽廃的で知的で優雅な場所が、実はパリにもある。ロダン美術館に近いブルゴーニュ通りにあるレストラン・バー〈Club des Poètes〉だ。
このお店の醍醐味は、毎週火曜、金曜・土曜の22時から行われる詩の朗唱。食後のコーヒーの時間になると、民家を思わせる素朴な店内にローソクの火がともされ、スタッフはもちろんのこと、客も皆の前で自分が好きな詩を披露する。参加するときには、とくにこれといった決まりはなく、言語も自由。外国人の客は母国語の詩をせがまれる。原語のダンテやプーシキンを、ほろ酔い気分で楽しめる場所は世界中を探してもなかなかない。「ただし、詩はきちんと前もって暗唱してくること!」と言うのは、創設者のジャン=ピエール・ロネ(故人)さんの夫人マルセルさんだ。
ふたりがクラブを立ち上げたのは1951年。詩人のジャン=ピエールさんは、自分と同じような若い才能を世に送り出そうと書店と出版社を経営していた。友人だった無名時代のブラッサンスの小説も処女出版している。だが、詩集を印刷して売るだけでは満足できず、詩を愛する者たちがいつでも気軽に立ち寄って楽しめる場所を模索しはじめる。そんな時、ふたりのよき理解者だった女性が、レストランの店舗を破格の値段で譲ってくれた。
以来、ここはパリの詩の世界でも重要な場のひとつとなる。とくに、十数年間にわたってテレビとラジオで詩の番組を作っていたジャン=ピエールさんの人脈は広く、店にもミショー、コクトー、近くに住んでいたアラゴン夫妻や、駐仏大使だったネルーダなどが足を運び、1978年には「世界詩人大会」も主催している。
18歳までエジプトのアレクサンドリアで育ったマルセルさん。「実家が書店で、アラゴンなどを読んで育ったけど、まさか本人に会えるとは」と振り返る。激しい「詩人のるつぼ」のような空気が、ロネ夫妻の周りに流れていたのだろう。エジプトにいるときは歌手になるとは全く思っていなかった弟は、やがて歌手ムスタキとなる。「一番の健康法はここで詩を朗唱すること」という彼女、若い女性客に人気の詩は、ヴィアンの『Ne vous mariez pas les filles 結婚しなさるな、娘さん』だと言う。「詩だけでは生きていけない」という通説があるが、マルセルさんは詩というものの別な次元を見せてくれるようにも思える。つまり、「詩がなくては生きていけない」という次元を。15歳でレジスタンスに加わったジャン=ピエールさんの『Non』という詩にこんな一行がある。
Nous valons mieux parfois que d’être qui nous sommes
ぼくらには、あるがままよりも、もっとマシなときもある。
Club des Poètes : 30 rue de Bourgogne 7e 01.4705.0603
http://www.poesie.net