大統領のラブストーリー。

発端となった〈クローザー〉誌1月10日号。
発端となった〈クローザー〉誌1月10日号。
 噂が本当に! フランスでピープル雑誌と呼ばれる芸能ゴシップ誌〈クローザー〉が1月10日号の表紙に、女優ジュリー・ガイエの事務所兼アパルトマン(エリゼ宮付近シルク通り)から出てくるオランド大統領の写真がデカデカと! メディアも国民も、大統領が女優と不倫! と動転。同夜のニュースは、名目的ファーストレディ、ヴァレリー・トリエヴェレールがピティエ・サルペトリエール病院に救急入院と速報。自殺未遂? と国民は勘ぐる。大統領は14日の記者会見で「当件はプライバシーなので答える気はない、彼女は静養中」と質問の矢をかわす。が、12月30日から31日にかけて、大統領のスクーターでの護衛なしのお忍びの外泊に、市民は、誰にも縛られず自由を愛する「フツウの大統領」は、新しい恋人と密会する「フツウの男」だったと再確認。
 この問題でもちきりのメディアによると、オランド大統領とジュリーの関係は昨年6月頃からだそう。昨年夏、ヴァレリーはバカンスをギリシャで、大統領は地元コレーズ県にジュリーと共に。もう二人の仲は確実…と、クローザー誌はパパラッチ、セバスチャン・ヴァリエラに大統領密会の撮影にゴーサイン。彼は、1984年ミッテラン大統領と隠し子、マザリンのレストラン前でのショットを射止め、パリマッチに売ったやり手のパパラッチ。ミッテラン大統領は13年間、オルセー河岸の別館に恋人パンジョー夫人とマザリンを住まわせ、自分の国葬に正妻ダニエル夫人とパンジョー母娘を(遺言で?)参列させたのには国民は脱帽、英米国人は開いた口がふさがらなかった。
 オランド大統領は国立行政学院ENAの同級生セゴレーヌ・ロワイヤルとの間に4人の子供をもち、社会党員同志のカップル生活25年。ロワイヤル4人目の出産を取材したのがパリマッチの記者ヴァレリー。以来、彼女は党内孤立時期のオランドを支える。2007年ロワイヤル大統領候補は選挙戦中、オランドとの決別を発表。オランドは彼自身の大統領立候補時期にヴァレリーを「Femme de ma vie生涯の伴侶」と公言したが、2012年6月、ロワイヤルのラロシェル市長選にオランドが支援したため、ヴァレリーの元彼女への嫉妬が高じ、ツイッターでロワイヤルの対敵を応援したことでオランドとの関係に決定的なひびが入る。 
 米国では「ファーストガールフレンド」と呼ばれたヴァレリーは、ファーストレディとしてエリゼ宮に自分のオフィスをもち秘書5人を抱え、月6万ユーロの人件費をエリゼ宮が負担。数カ月前から大統領とヴァレリーはエリゼ宮内別居だったとか。国民の注目の中、ヴァレリーとの関係に終止符を打つため(クローザーの暴露記事にあやかる?)1月25 日、大統領は彼女との正式別離を公表した。この屈辱的宣言でヴァレリーは真夜中を過ぎたシンデレラのように一介の市民に戻る。
 ファーストレディは元首に不可欠な存在?  オランドはプライベートの関係を重ね独身大統領でとおしてもいいが、ヴァレリーは「使い捨て」のファーストレディだったのか。今や結婚はブルジョワ社会の遺物ととれようが、ロワイヤルもヴァレリーも結婚していたなら、裁判で慰謝料などを要求できただろうに。(君)