7〜 8月、ロマ人の不法露営地からの官憲による強制退去シーンがまだ市民の記憶に鮮やかな10 月9日、コソボ出身の中学生レオナルダさん(15)が学校の見学バスから警官に下ろされ、即日母国に強制送還された。さらに、高校生ハチク君も母国アルメニアに強制送還されたものだから中高生の怒りが爆発。10月18日、1〜3万人の抗議デモだけでは怒りが静まらず、バカンス明けの11月5日、7日とヴァルス内相をヤリ玉に上げ、レオナルダさんのフランス復帰を要求しデモを決行。が、BVA-Le Parisienの世論調査(10/17-18)によるとフランス人の46 % はレオナルダさんの強制送還にショックを受けたが、65 %は彼女と家族のフランス復帰には反対という意見だ。
不法滞在の中高生の強制送還に社会党内でも批判が高まるなか、ペイヨン教育相は、社会学者デュルケム(1858-1917)が教育の場を聖域とみなしたように「学校を聖域化し在学中の子供は国外退去させない」と知事らに通達を出すと表明。ヴァルス内相の2012年11月28日付通達は「不法移民は5 年滞在し、子供が3 年通学していれば滞在を許可する(自動的ではない)」としているが、レオナルダさんたちは該当期間に2カ月不足していた。内相は「人道主義と毅(き)然さ」をもって移民対策にあたっているというが。
レオナルダさんらディブラニ一家は2009年1 月にコソボから不法入国した。同年8月に亡命申請したが却下され11年1月に上告、12年1 月、13年2月とナンシー行政裁判所により「社会・経済的同化の見込み不十分」という理由で退去を命ぜられ、父親は9月8日に強制送還された。前サルコジ政権では、不法滞在中国人の父親が小学校に子供を送りに行った際に逮捕されたものだ。
ロマ人の排除と中高生の強制送還を待ってましたとばかり、定番の移民排斥論のゲキを飛ばすのは国民戦線FN のマリーヌ・ルペン党首。彼女に先手をとられまいと民衆連合UMPのコペ党首が生地主義改革の口火を切った。彼は来年3月の市議会選挙でFNにUMPの議席をとられまいと、25 年来 FNが叫んできた生地主義廃止論の罠に自ら飛び込む。ヴァルス内相が亡命法改革(申請から決定までに18カ月かかるのを6 カ月に短縮するなど)を急いでいるときに、コペ党首は「不法滞在者のフランスで生まれた子供の自動的フランス国籍取得法の廃止法案を提出する」と息巻く。
フランスは革命以前からナポレオン時代まで生地主義を施行したが、植民地時代の1804〜51年に外地在住フランス人の子供の仏国籍を守るために血統主義を導入した。多文化の市民国家を目指す生地主義は1889年に制定された。今日、外国人の子供は成人までに5年間滞在すれば自動的に仏国籍を取得できる。1993年パスクワ法は仏国籍取得にはフランス人になる意志表明を要求したが、98年ジョスパン政権が同法を廃止した。
80年代以降、欧米のほとんどの国が生地主義を導入。ドイツはナチス時代はいうまでもなく1981年シュミット首相も「ドイツを移民の国にしないし、そうなりたくない」と民族重視の血統主義を維持してきたがついに1999年、生地主義(23歳で選べる)に切り替え、昔から居ついているトルコ人2 世、3 世もドイツ国民として包含した。(君)