10月2日夜、ヴァンセンヌの森の入り口、Porte Doréeにある国立移民歴史記念館で『フランスをつくった外国人辞典』の刊行記念イベントがあった。表紙を彩るキュリー夫人、ダリ、ピカソ、ジョゼフィン・ベーカー、ベケットなどの顔写真。外国出身ながらいろいろな分野でフランスに貢献した個人の伝記や証言を集めたもの、学術書はこれまで存在したが、彼らのデータを一冊にまとめたものはなかった。
構想25年、執筆期間は4年、参加したメンバーは70名という壮大な企画だ。監修責任者のソルボンヌ大学のオリー教授によると、この辞典をつくるようになったきっかけはジャック・ラング元文化相がふともらした「こんな本があったらいいよね」というひと言だったという。
900ページを越えるこの辞典。膨大な情報もさることながら、興味深いのは、さまざまな外国人コミュニティーについてページを割いていることだ。たとえばフランスの日本人コミュニティーについては「3万5千人の長期滞在者がいる。駐在員やその家族、自由業者や学生が多い」、「うち60%は女性」、「パリ近辺に集中している」などという記載がみられる。
誰を収録するか、どういう基準で「外国人」とみなすかなど、さまざまな試行錯誤もあったようだが、刊行までこぎ着けたのは、執筆陣の思い入れの深さのおかげだろう。イベントで演壇に立った彼らの多くも、スペインやロシア、エジプトやシリアなどの出身者たちだ。フランスに来た当時の思い出や、特にフランス語への愛着を語った。
イベントの後半で、会場がざわめき立った。ステージに上がったのは、マニュエル・ヴァルス内相。彼もまたバルセロナ生まれのスペイン移民でフランスに帰化したひとり。「私が16歳で滞在許可証を申請したとき、警察の扱いは冷たかった」などと体験談を交えつつ「フランスにとって移民は宝」、「社会的ゲットーに彼らを陥れてはいけない」と、ヨーロッパ最大の移民受け入れ国であるフランスの多様な価値観を30分にも及び熱く訴えた。
みんなの視線が真剣だったのは、単に彼が「ロマ発言」で渦中にあるからではない。辞典の「V」の項目には、存命ながら彼の名前も載っているからだ。リップサービスにすぎないのか、それとも「フランスをつくった外国人」になれるのか。真偽のほどが試される。(康)