芝居を考案し、人形を作り、それを操って演じる。 ESNAMでは、そのすべてを3年間でたたきこまれた。
人形劇でまちおこし。
日本でもフランスでも何をもって知名度を上げ、地域を活性化していくかが地方自治体の大きな課題になっているが、アルデンヌ県の県都シャルルヴィル=メジエールCharleville-Mézièresは、そんな「まちおこし」の成功例といえる。ギニョールで有名なリヨンなどとは異なり、もともと伝統的な人形劇があったわけではない町を一躍人形劇の世界的な「聖地」にまで高めたのが、故ジャック・フェリックス氏だ。彼自身はプロ人形作家でも、俳優でも演出家でもなかった。ただ人形劇好きが昂(こう)じて、1961年にアマチュアのフェスティバルを開催したことからすべてがはじまる。フェスティバルは成功し、やがてプロも参加するようになり、世界でもっとも重要なイベントのひとつに数えられる。1981年にはIIM(国際人形劇研究所)、そして1987年にはその付属の教育機関としてESNAM(国立高等人形劇学校)が設立されるなど、インフラが確立されていく。当初プラハにあった国際人形劇連盟の本部も、今はこの町にある。
「ここにいれば、世界的に有名なプロに次から次へと会うことができる。パリなどでは考えられないこと」と言うのは、ESNAM第一回卒業生で俳優・演出家のロドリゲスさん。市民たちも公演のたびに巨匠たちの作品を何作も観ているから、その目も次第に養われてきている。「近所のパン屋のおばさんだって、いっぱしの通(つう)。あなどれない」とのこと。現在、市が財源を提供し、今の校舎が手狭になったESNAMをより大きな建物に移転しようという計画が進められている。まちおこしと文化事業とが人形劇を軸に一体になったような形だ。
難関ESNAMは受験倍率10倍、落ちれば3浪!
「人形劇のプロは万能でなくてはならない」。ESNAMの教務主任で演出家でもあるジャン=ルイ・エッケルさんはそう断言する。芝居を考案し、人形を作り、それを操って客の前で演じる。劇作、美術、演技の実力を要する総合芸術だ。ESNAMでは、学生の得手不得手にかかわらず、3年間でそのすべてをたたき込まれる。語学はもちろん簿記会計の教習まであるという。広報のソフィーさんに案内されて市内にある「アトリエ」を見せてもらった。
鏡張りの演技指導室や音楽室、衣装や型取りの工房、木工室などの設備が整っている。それぞれ学生の作業机にはカラフルで大きな道具箱が置かれていたが、各々が自分の道具箱を作るのが、入学して最初の木工の授業の課題だという。
「ここを卒業して人形劇のプロとして独立できるようにするのが学校の使命」と語るのは、ルシル・ボドソン校長。最終学年を控えた2年生の最後に各学生の志望を聞いて、卒業後は希望している劇団などにインターン生として派遣して、実社会に入れるようにする。つまり就職のサポートもばっちりというわけだ。学費はフランスの一般の大学とほぼ同じ、必要な材料などは支給、さらに生活に困らない程度の奨学金もつく。この道を目指す若者にとっては願ってもない環境だ。
入試は3年に一度の総入れ替え制。当然、受験は熾烈(しれつ)なもので、最初の書類審査には毎回約180人が応募する。それが第二審査の実技、最終審査の5日間のスタージュを経て15人から18人に絞られるのだ。「技術もさることながら、経歴と人格が大事」とボドソン校長は言う。小さな町の学校で少数精鋭の3年を過ごすには情熱と協調性なども欠かせないというわけだ。
現在2年生のエレンヌさんとヴィオレンヌさんは、そんな競争率10倍の試験を勝ち抜いたエリート。だが気取ったところがない。本紙をみせると「人形劇専門誌で〈OMNI〉っていうのがあるわね」と笑う。二人とも5年前に高校を卒業してすぐに受験したが経験不足で不合格となり、劇団で働きながら3年の浪人生活をへて合格した。その執念には感服するばかりだが、そこまでしても入学したいと思うのは、やはりESNAMの濃密で高レベルな教育と人形劇の世界にどっぷりと浸れる環境にあるという。授業は基本的に9時から17時だが、それ以外に自習や自己練習もしなくてはいけない。それでもさらに自分たちで作品をつくって、自主上演する学生もいる。「眠る時間もないくらいだけど、私たちは学ぶためにここにいるのだからね」とエレンヌさん。『空手バカ一代』ではなく『人形劇バカ一代』なる漫画が描けそうなほどのすさまじいモチベーションだ。
これぞ『人形の家』、一学生の家に行ってみた。
「普段はどのような環境で生活しているの?」とたずねると、ヴィオレンヌさんが「ウチにおいで」というのでお邪魔してみた。ブラジル出身の夫エヴァンドロさんも人形劇制作者。学校からすぐ近くにある建物の最上階に暮らしているふたり。ドアを開けると早速、お化けが…と思いきや、「いとこの顔を石膏で型をとってつくった人形だよ」とヴィオレンヌさん。部屋中が彼女たちの作品や動物のはく製などであふれている。幻想的な玩具箱をひっくり返した、とでもいった感じだ。
アパートの半分は工房。「雑然としているけど」と恐縮する彼女。それもそのはず、取材のときは学年末で、学校のアトリエにある私物をまとめて急きょ撤去しなくてはならなかったそうだ。壁に固定された大きなコルク版に工具が整然と並び、片隅には衣装が山と積み上げられ、ネジやクギを入れたプラスチックの棚や樹脂の缶なども置かれている。自分たちで人形をつくり、台本を書き、演じる彼女たち。材料や衣装などを揃えるにはお金もスペースも必要だ。机の上にはガラスの眼球。「のみの市で買った」という。新品の材料は高いので、のみの市や古着屋などで良品を見つけては再利用している。また、地方都市なので家賃は安く、助かっているとのこと。
家の中を一巡してから、サロンで彼女の作品の数々をじっくり見せてもらった。形も材質も様々だか、紙や
ビー玉、ストッキングの布地など何気ないものから、洗練された主人公たちが生み出されるのには驚きだ。糸操り人形の、授業で使ったというシンプルな木の人形があったので試させてもらったが、糸が絡まったり、首が据わらなかったりして、両足を床につけてまっすぐ立たせるのですらおぼつかない。あきらめてヴィオレンヌさんに渡すと、彼女は「ほら!」といって器用に糸をつまんだ。人形は生き生きと歩き出し、そして握手を求めてきた。まさに神業というほかない。(康)
IIM/ESNAM : 7 place Winston Churchill,
08000 Charleville-Mézières, France
03.2433.7250 www.marionnette.com/
ESNAM受験案内
人形劇のプロになりたいと思っている読者に朗報。来年2014年は、ちょうどESNAMの入学試験がある年にあたる。募集定員の半数は留学生枠と外国人にも門戸が開かれている。フランス語力は必要だが、18歳から26歳で、「我こそは」と思う人は挑戦してみてはいかが?
www.marionnette.com/fr/Esnam/Presentation
最初の木工の課題がこの道具箱作り。