世界一の自転車ロードレース、ツール・ド・フランスは今年でちょうど100回目。今年も6月29日から7月21日まで、急な勾配に自動車も息切れしそうなピレネーやアルプス山脈の難所を含む21区間、全長3404kmという超人的レースが展開されている。
ツール・ド・フランスは1903年に、スポーツ新聞〈L’Auto〉の主催で始まった。第2回は地元選手を応援するファンの行き過ぎなどでルール違反が続出。上位4人が失格したが、その理由は、なんと、列車に乗った、近道をした、くぎをまいた…。1907年から4年間は、当時ドイツ領だったメスを通過し、愛国心をあおる。1910年からは、ピレネー山脈の難所もコースに入る。第一次世界大戦で5年間中断。1919年に再開され、全長距離も2500kmから、1926年にはなんと5745kmに達した。通過する市町村も倍増し、人気は高まるばかりだったが、ドイツ占領下の1940年からまたまた中断。
1947年7月に再開。1951年からはヴァントゥー山とアルプ・デュエーズという過酷な山岳区間も加わる。そして50年代、60年代はフランス選手が大活躍することになる。1953年からルイゾン・ボベが3連覇。1957年から、ジャック・アンクティルが5回優勝。1966年にはリュシアン・エマールが、翌年にはロジェ・パンジョンが優勝している。
1959年から、テレビがいくつかの区間のゴール到着を実況中継し、3年後にはゴールまでの最後の10kmをフォロー。そして1964年、ピュイ・ド・ドームの急勾配でのアンクティルとレイモン・ポリドールの伝説的な一騎打ちをテレビカメラがとらえ、多くのフランス人が画面にくぎ付けになり、ツール・ド・フランスの人気が高まる。それにつれて、各チームに広告スポンサーがつくようになり、少しでもトップに出て、ユニホームにプリントしてあるスポンサー名がテレビに映るようにする戦術が一般化する。1975年からシャンゼリゼ大通りが最終区間のゴールに選ばれる。
1978年からフランスのベルナール・イノー選手が圧倒的な強さを見せ、5回優勝。次いでローラン・フィニョン選手が1984年、85年と連覇。米国選手の活躍も目立つようになり、1986年にグレッグ・レモン選手が米国選手としては初の栄誉に輝く。1989年のシャンゼリゼ大通りでのタイムトライアルで、レモン選手はフィニョン選手との遅れを取り戻し、8秒差で優勝したことはすでに伝説だ。
1990年以降は、赤血球の産生を促すEPO(造血ホルモン)のドーピングが前面に出てくる。ゴール後の成績上位者の抜き打ち検査にもかかわらず、年々ドーピングは巧妙になっている。1999年から2011年にかけて、7連覇のランス・アームストロング選手、フロイド・ランディス選手、アルベルト・コンタドール選手と、合わせて9回の優勝者がドーピング違反で失格! これからのツール・ド・フランスは、ドーピング対策が課題といえそうだ。(真)
写真:ひと昔前のツール・ド・フランスは、サポートする車がなかったので、選手はパンクした時の交換用のチューブをたすきがけにして走っていた。