ベネディクト16世の退位。

2月12日付リベラシオン紙。
2月12日付リベラシオン紙。
 2月11日の枢機卿(きょう)会議で、バチカン関係者が予想もしなかったベネディクト16世の生前退位を教皇自ら発表し、世界中のキリスト教信者があ然とした。「神に対し良心に照らして考えた結果、高齢に達している我が身が教皇としての職務を達成することができないという確信を持った」とラテン語で述べた。2月28日20時に公式退位。
 ローマ教皇の生前退位は、7〜10世紀東ローマ帝国と教会との権力闘争による教皇の強制退位や、1294年ケレティヌス5世自らの退位、教皇庁がローマとアヴィニョンにあった教会大分裂(1309-77)解消のための1415年グレゴリウス12世(ローマ)の政治的廃位まで入れると、今回のベネディクト16 世の生前退位は6人目。
 2005年4月に就任したベネディクト16世は、1981年からヨハネ・パウロ2世没年まで教理省長官として実質的に教皇庁を取り仕切っていた。4月に86歳を迎える教皇(本名ヨーゼフ・ラッツィンガー)はドイツのバイエルン州生まれ。警官だった父は、台頭したナチスを嫌悪し1937年に退職。1939年、14 歳のとき、青少年の加入が義務化されたヒトラーユーゲントに加入。43-44年、対空補助・歩兵として動員された。神学校を出、兄同様、1951年に司祭に。ボン、ミュンヘン、
テュービンゲン大学の教授職を経、1977年ミュンヘン・フライジング大司教を務めた後、枢機卿に。彼が取り仕切った教理省は「検邪聖省」ともいわれ、古くは異端審問を担当し「教義の番犬」として超保守派の代表。避妊・中絶・同性愛に反対する点では、穏健派といわれた前教皇と変わらない。そして相対主義や多元論主義に警鐘を鳴らす。
 2009年、アイルランドやドイツ、米国でのカトリック聖職者による数十年にわたる数千の児童性的虐待事件が明るみに出た。前教皇が黙視したこの問題に対し、ベネディクト16世は、特にアイルランドのキリスト教信者宛の手紙でカトリック上層部の責任を認め、2010年ポルトガルでの演説では「教会批判は外部だけでなく罪への苦悩は教会内部にもある」と表明した。性的虐待被害者団体は、ベネディクト16世は「ほとんど何も手を尽くさなかった」と、同教皇の退位を歓迎している。
 こうした問題に直面したベネディクト教皇は「キリスト教はモラルやイデオロギーだけに留まらない」とし、祈りと教義研究の重要性を説く。2007年にラテン語のミサを認め、2009年には、カトリック超保守派として1988年に破門された聖ピオ10世会ルフェーブル派の4司教(その1人はホロコーストのガス室使用を否定)の破門の撤回を決定した。カトリック過激派も迎え入れ、教会の統一に努めたベネディクト16世の保守化路線にフランス、ドイツでは批判の声も聞かれる。
 バチカンは教皇退位時に「使徒座空位」を宣言する。退位後、ベネディクト16世はマーテル・エクレジエ修道院に居住することになっているが、改装中なので当分バチカン宮殿に留まるよう。
 3月15日に教皇選出会議(コンクラーヴェ)がシスティーナ礼拝堂で行われ、80歳未満の125人の枢機卿が新教皇を選出後、礼拝堂の煙突から白い煙が立ちのぼる。在位8年のベネディクト16世は短いながら、教義を守護し、カトリック存続のために尽くした第265代ローマ教皇だった。(君)

 

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