5月6日19時59分59秒…TV画面にフランソワ・オランド左派候補の顔が大写し ! 新大統領51.63%(1981年ミッテラン51.76%)、サルコジ48.37%の僅差で、1995年ミッテラン大統領退任以来の左派大統領が誕生(投票率80.35%!)。
長年、社会党内でも「軟弱な」「焦点が定まらない」候補と評され、サルコジ候補には、閣僚経験もない「無能 nul」な候補とみくびられてきたオランドだ。サルコジのスローガン「強いフランス」と、オランドの「今こそ変革を !」が衝突し、後者の第一公約「公正と若い世代」に、主に大都市・郊外の若年層が共鳴し、これから5年間、フランスの運命の舵取りを「ノーマルな大統領」オランド(57歳)に託したのである。
しかし5月2日夜、TV 2局中継の2候補対決番組は、視聴者1850万人余を前にしてのボクシング試合を見ているようだった。サルコジは5年間の実績を並べたて、福島に行ってないのに「行った」とかの出まかせ発言・虚言を次々にオランド候補に暴かれディフェンスに回るボクサー。オランドはミッテランの説法から戦略まで取り入れ、冷静に敵の弱点を熟知したうえで多種技で食い下がる柔道家、または打たれても折れることのない「鋼の葦(あし)」にたとえた評論家もいた。
サルコジ候補はブリソン顧問(極右系大衆紙Minute元編集長)の作戦をう呑みにし、国民戦線党FN候補ルペン票を奪うためにハラール肉から、EU圏外からの移民排斥論まで、マリーヌ・ルペン候補と競い合う一方、オランドの公約「非EU外国人の市議会選挙参加」をやり玉にあげ市民を分裂させる。サルコジに落胆し「政治に見捨てられた」農業従事者や零細企業主、廃工場地の住民がこぞってルペン候補を支持し第1回投票で18%の高得票率を記録。彼女は今選挙で右派支持層の拡大に成功した。決選でルペン票と中道派MoDemバイルー票(11 %)のどのくらいがサルコジに流れるかで彼の勝敗が決まるところだったが、バイルー氏はサルコジの右傾化にがまんならず決選3日前にオランド支持を表明。ルペン候補はサルコジを妨害するために白紙投票を暗に呼びかけたから、過去最多210万票(4.6%)が宙に浮く。
6日の晩、バスチーユ広場に左派市民数万人が押し寄せた。1981年ミッテラン当選時の歓喜を思い起こす中年層もいたが、当時は群衆の肌の色も今ほど多色ではなかったし移民系市民も500万人もいなかった。テニス元チャンピオン・シンガーのヤニック・ノアもオランドの勝利に感激し同広場で歌っていたように、今日のフランス社会は移民2世、3世をも含む多文化・多人種からなっている。白色系純フランス人と有色系準フランス人の間に「境界」(サルコジ候補が多発した言葉)を設けるのは時代錯誤では。が、6日ギリシャ総選挙で移民排斥に努めるネオナチ政党「黄金の夜明け」党が21議席獲得したように、EU諸国でポピュリスト勢力が強まる中でルペン支持層の盛り上がり次第で「境界」が明確化される可能性も。
「モーレツ元首」としてがんばったサルコジ大統領は政界を離れ、一市民に帰るそう。5月15日正式に就任するオランド新大統領は、まず大統領と閣僚の報酬を30%下げることから始めるよう。首相以下、新大臣リストが楽しみだ。(君)