ゴンクール賞作家で、2008年にはアカデミー・フランセーズ会員に選出されたジャン=クリストフ・リュファンは、1952年6月にシェール県のブルジュ
で生まれる。パリの高校を出てから医学部に進んでディプロムを得、パリ市の病院でインターン、医師として働く。1997年からはパリ市のサントワーヌ病院
の精神科を率いた。アフリカやアジアでの人道的援助・救援にも若い時から積極的に参加する。1972年には〈国境なき医師団〉の一員として内乱のまっただ
中のエリトリアへ。そこで現在の妻、アゼブに出会う。1985年には〈Action contre la
faim 飢えに対する活動〉の医療部長としてエチオピアへ。リュファンは政治学のディプロムも取得し、1986年から2年間、人権担当相の顧問となり、
次いでブラジル領事館の文化担当に。1996年から3年間、防衛省の国際関係担当のディレクターとして紛争中のボスニア・ヘルツェゴビナに派遣される。セ
ルビア人の人質になっていた緊急医療援助団体のフランス人11人の解放に寄与し、外交的手腕を買われる。2007年から2010年にかけてセネガルおよび
ガンビアのフランス大使を務める。
作家としてのリュファンはというと、人道的援助・救助活動の経験をエッセーに綴った後、1997年に小説
『L’Abyssin 太陽王の使者』でデビュー。30万部以上を売り切りゴンクールの新人賞を得た。2001年に小説『Rouge Brésil
ブラジルの赤』でゴンクール賞受賞。最新作『Katiba』では、サハラ砂漠を舞台に、テロリストによるヨーロッパ観光客4人の殺害事件をきっかけに生ま
れる、主人公ジャスミンの内的葛藤(かっとう)を描いて、やはりベストセラーになっている。
このリュファンが、現在のフランス外交の混乱を2月27日付パリジャン紙で批判している。
「(…)
カダフィ大佐が狂っているということは、2007年12月にパリに招待された時にすでに明白な事実だった。サルコジ大統領が提案した地中海ユニオンという
幻想のために、フランスは、(チュニジア、エジプト、リビア)の独裁者に対してあまりに寛容であった。それも経済的利害関係のためではなくずっとイデオロ
ギー的な見地からだ。というのもリビアとの経済的利害関係は大したものではない。(…)アリオ
=マリ外相はもちろん辞任するしかない。あれほどの手厳しい批判から立ち直ることはできない。彼女は外相にまったく不適当であることをさらけ出した。(ミ
シェル・アリオ
=マリ外相はまだ辞任していなかった)(…)サルコジ大統領が外交の主要路線を示すことは当然であるが、一人で突っ走らず外交官たちと密接な連絡をとるこ
とが肝心。メキシコのフロランス・カセ事件(前号の2ページ参照)での性急で衝動的な対応に見られるように、大統領府の決定と外交官たちの考え方の間には
非常に深刻な亀裂がある」(真)