チュニジアの「ジャスミン革命」がエジプトに飛び火し、「ムバラク大統領出ていけ!」と独裁者を糾弾する市民の反乱デモが続いた後、ついに2月11日、オバマ米大統領の強い説得に伏したのかムバラク大統領が30年間温めてきた大統領の座を退き、臨時政府は、9月の大統領選まで軍最高評議会に全権を委譲する暫定措置を発表した。
次はどの国?と世界中がマグレブ・中東に注目。ほとんどの国が1950〜60年代に旧植民地から独立後、軍隊・警察力のヨロイで身を固めてきた独裁体制だ。チュニジアのベンアリ前大統領(74)23年、エジプトのムバラク前大統領(82)30年、イエメンのサレハ大統領(68)32年、アルジェリアのブーテフリカ大統領(73)12年、リビアのカダフィ大佐(69)41年、スーダンのバシール大統領(66)21年と、ほとんどが世襲制(ムバラク前大統領も後任に軍部の幹部だった息子ガマル氏を想定していた)。
風光明媚チュニジアのベンアリ前大統領は観光産業(年700万人)で、エジプトのムバラク前大統領はピラミッド観光(1500万人)とスエズ運河通過税、年間12億ドルにのぼる米国のヒモ付き軍事費援助では寝て暮らせた。他のほとんどの国は原油産出による不労収入国。原油価格の高騰で雪だるま式に独裁者と親族の富が膨張したのとは逆に労働市場もない国民の貧困化が進んだ。原油産出にあぐらをかき雇用創出に努めなかった独裁政権の怠慢姿勢は、例えば最近アルジェリアの高速道路や下部構造建設を中国系企業に託す公共事業にも見られる。
エジプトの人口は中東で一番多く8450万人(50年で4倍)、25歳未満が50%近く占め、失業者の90%は30歳未満。09年に絶望のあまり約5千人が自殺した。チュニジアも同様、5千人余の失業中のチュニジア人がEU諸国に職を求め2月10〜15日、市民革命の結果も待たずにシチリア沖のランペデュサ島に不法上陸している。
チュニジアからエジプト、アルジェリア、イエメン、2月15日にはペリシャ湾のバーレーン王国でも独裁政権に対する市民の怒りが爆発、デモ隊の死傷者200人余。一方、リビア政府は空軍による銃撃と、数都市で武力によるデモ隊の鎮圧に懸命、一週間で300人余死亡。
アラブ諸国を揺るがせている市民のネットによる自然発生的反乱を、ポーランドの「連帯運動」に比べる歴史家もいるが、元共産国を崩壊させたイデオロギーの対立ではない。イスラーム教を政治に利用(エジプトのサダト大統領はナセル時代後、左翼弾圧のためにイスラーム原理主義を導入)し、新自由主義を掲げ私欲を満たしてきた独裁者らへの怒りの爆発なのだ。なかでも仏・米国は9・11.以降これらの国をアルカイダやテロリズムへの防波堤とみなし、自由を奪われ貧困に苦しむ市民の現実には目もくれずに独裁政権を支援してきたのだ。そして貧困社会と腐敗政治への不満がイスラーム原理主義者を過激化させていったともいえよう。(君)