プルーストの味を求めて –9

 子供のころに喘息(ぜんそく)にかかり、生涯病弱だったプルーストが食べられるものは限られていた。
 眠りにつく前に1杯のヴィシー水を飲んだだけでも、腹痛のために眠れなくなることがあるというほどの信じがたい敏感さ。当然ながら消化に負担がかかる肉類は好まず、ときどき少量の鶏を食べるくらい。その好物は『失われた時を求めて』にも何度も登場している舌びらめだった。
 ノルマンディの海岸沿いの高級ホテルにあるガラス張りの大食堂で、語り手とその祖母はお昼にひらめを注文する。そこから見える海の色や広い空、数メートル先に見える堤防などを眺めながらの優雅な食事のひと時は、こんな描写から想像できる。「皮張の小さな水筒とでもいったまるい果実のレモンから、金色の液を数滴、二枚の舌びらめの上にしたたらせ、やがてそのひらめが私たちの皿の上に骨の前立を残し、その前立がくせのついた羽のように湾曲し、古代の小さな竪琴のようにひびいて鳴った」(井上究一郎訳)。
 そんな、楽器を思わせるような舌びらめの一皿はどこか官能的だったに違いない。しかし、この食堂の張りだしになっているガラス戸はぴったりと閉まり、せっかくの潮風を感じることはできない。外気にあたるのは健康にいいと信じている祖母は、語り手がその恩恵を受けられるようにとガラスをあけるが、たちまち強すぎる風が吹きつけ、ノルマンディ地方の名士たちからなる食事客から非難を浴びせられてしまう。
 広々しているけれど閉ざされたそんな食堂で洗練された料理に舌鼓を打ちながらも、語り手はレオニ叔母が住んでいる「近所の家とすぐ向かいあっているコンブレーの田舎の食堂、つまり『広間』」との違いをひしひしと感じるのであった。(さ)