どんな被写体でも 等価に扱われている。 Michael Kenna展

 日本でも人気の英国生まれの写真家、マイケル・ケンナ(1953-)の展覧会が、2カ所で開催中。国立図書館は、1974年から2009年までの210点で、ほぼ回顧展に近い。写真専門ギャラリー、Camera Obscuraは、ニューヨークを中心とした作品群を選んだ。
 写真はすべて白黒で、サイズは平均して20cm × 20cmと、決して大きくはない。なのに、一点一点に、後ろに奥深い立方体が広がっているかのような存在感がある。
 人間はどこにも出てこない。被写体は、人っ子一人いない工場、フランス庭園の彫刻、砂漠の雲、山、湖…異様なほどの静謐(せいひつ)さが漂う作品を見進むうちに、どんな被写体でも等価に扱われていることに気づく。木の人格(と言っていいものか?)、彫刻の人格、水の人格、建物の人格。これらのあいだに、ケンナはヒエラルキーを作らない。世界の中の一存在として、それぞれがそれぞれの場所にいる。ケンナは、その自己主張しない静かな美しさを捉えている。それゆえ、場所がムンバイであろうと、ニューヨークであろうと、周知のエジプトのピラミッドであろうと、イースター島であろうと、場所固有のアイデンティティが希薄になり、すべての存在の底に共通して流れているものが、どの写真からも感じられる。
 暴力的なものはなにもない。事故が起きれば地球に壊滅的な影響を与える原子力発電所でさえ、光環を頂いて、神々しいほど美しい。
 雪の北海道で撮った1本の樹が、どちらの会場にもある。ギャラリーの地下に展示されている樹は、ソリで滑って途中の窪みで止まった少女のようだ。風に向かってなにか言いたげな、国立図書館展示の樹には「哲学者」という名前がついている。「地元の人がそう呼んでいたから」とケンナは言う。けれども、本人もそう思わなければ、この題名を付けることはなかったに違いない。
 すべてが人であり、無機質であり、有機的であり…。被写体が気に入ったら、何年もかけて、何度も同じ場所に行って撮る。はったりのない、自然でいて力強い作品は、写真家と被写体の意識の一部が溶け合ってできたものだ。(羽)

Statuary, Vaux-le-Vicomte, France, 1988
BnF. Dép, Estampes et photographie 
© Michael Kenna

Bibliothèque Nationale Richelieu : 58 rue de Richelieu 2e
1月24日迄(月祝休)/Camera Obscura : 268 bd Raspail 14e