1月7日、サルコジ大統領がパリ破棄院で行った年頭演説から法曹界も予期しなかった司法改革案が飛び出した。留置後すぐに弁護士は調書を入手できるという抜本的改革の他、 1670年以来存在する予審判事を廃止するというのだ。
予審判事は日本では1947年に廃止された。また弁護士による対審式の公開・口頭弁論に従って陪審員が評決する英米国にも存在しない。
フランス固有の予審判事は、例えば、刑事事件などで警官や刑事による捜査に基づき証拠調べや被疑者・証人らの尋問を行い、容疑を認めた時はそれぞれ該当の裁判所に送致し、容疑を認めない場合は免訴 non-lieuにすることもできる。つまり被疑者を被告席に送ることも、減免により放免することもできる表裏一体の権限を有することから、原告からも被告からも疎まれる役を担っている。
例えば、20年以上犯人不明の少年グレゴワール溺死事件や、数年前に国民を憎悪と不快感に陥れたウトロー小児性愛集団告発事件のいずれも予審判事が単独で調査に当たり虚実証言の渦に巻き込まれ、十数人の無実の人たちが被疑者として長期間拘留された事件は情動的にも国民の記憶に鮮やかだ。
予審判事による取り調べは、宗教裁判時代から異端糾問的になりがちだ。その単独裁断による弊害をなくすために、サルコジ大統領は予審判事を廃止するというのだが、ウトロー事件後に設置された議員・司法家からなるウトロー委員会でも同廃止論が上がったが、廃止せずに予審判事3人の合議制にする法案を議会で成立させた。なのにサルコジ大統領は「廃止する」のツルの一声。「朕は…を廃止する」と言った王様はいなかったと思うが…。
大統領や大臣、彼らの知人、外国官僚などが絡む政財界疑惑でも執拗に調べ上げる予審判事ほど邪魔な存在はない。検事総長の命令で調査が取り下げられた疑惑も少なくない。大統領は予審判事の代わりに、予審裁判官の監督のもとに検察官に被疑者の尋問から確証まで一任するという。大統領・法務相・検察官まで上下の司法体制下、検察官にどこまで自由と独立性が保証されるのか危惧する司法官や左派政治家も多い。
四面楚歌のなかでコツコツと被疑者・被害者の調査を同時に進める予審判事に代わって、司法権力をバックにした検察官が取り調べることになる。それに対抗し容疑をくつがえせるのは、金持が莫大な弁護料を払い強固な弁護作戦を展開できる弁護士? 米国で有名な O. J.シンプソンの妻殺人容疑裁判は有数の弁護団により無罪を獲得し、民事裁判により数百万ドルの被害者遺族への賠償金支払い命令で終った。この例からも、訴訟が二重構造化していきはしないか。
貧乏人のための国選弁護士の闘いにも限界があり、裁判の公平性が崩れていくことへの警告の声に大統領も耳を傾けてほしい。(君)