バルザックの仕事中のストイックな食事制限は、母親の影響を受けていると思われている。18世紀のブルジョワ家庭に生まれ育ったバルザックの母親にとって、食事とは「役に立つ」ものでなくてはならなかった。節約と仕事を重視する母親にとって、子供が好きなお菓子は「無駄」な部類の食べ物。彼女自身の母親が、夫の死後に彼女の家へ身を寄せてきた時も、母親が孫にお菓子を与えるのを禁止するほどの徹底ぶり。
バルザックの『谷間のゆり』に出てくる、「Olivetのチーズかドライフルーツしかない寂しい籠」とは、作家の子供時代の思い出が反映されているといわれている。6歳になった主人公のフェリックスは父親の従僕に連れられて町の学校に出かけるが、他の級友たちが昼食用にトゥール名産のリエットやリヨン(豚バラ肉の煮物)がはちきれんばかりに入った籠を持ってきているのに、自分は簡素な食事しか用意してもらえず、それが原因で級友たちからばかにされるはめに。ロワール名産の白カビチーズOlivetは私たちの目には土地でとれた新鮮な優良食材に映るけれど、確かに子供がとびつくような派手さはない。細かい肉を寄せ集めてつくったリエットやリヨンのようなものは当時庶民の食べ物とされていたので、バルザック家ではおそらく卑しい食べ物として遠ざけていたのだろう。
それにしても子供のころの体験というのは恐ろしいもの。少年バルザックの頭には母親の影響で「節約と仕事」の習慣がしっかり刻み込まれてしまったのだろう。執筆中のバルザックは粗食を通していた。書斎にこもり、ひたすらストイックに仕事に打ち込んでいた作家の食卓とはいったいどんなものだったのだろう?(さ)