男女不平等の根源は家庭にある。 フランスのフェミニズム運動の理論家で哲学者のエリザベット・バダンテールさんにフランスの男女平等の現状を尋ねてみた。
—70年代以降のフェミニズム運動の結果、フランスの男女同権はどの程度まで達成されたと思いますか。まだ残された分野があるのでしょうか。
問題は非常に複雑です。男女平等はまだ完全には達成されていませんし、分野によってばらつきがあります。例えば教育面ではバカロレアの取得率でも女性の方が優れていますが、彼女らが社会に出たとたんに不平等になっています。私にとっては経済面での平等が重要なポイントなんですが、男女の給与差が平均2割もあるという状況では、とても平等とはいえないでしょう。理系の大学や職業に進む女性がまだ非常に少ないのはとても残念。ただ、法曹界では今や女性は過半数ですから、今の男性優位の法曹界も将来は変わってくるでしょう。政界は非常にマッチョな世界で、女性はあまり進出していません。
女性はパート労働が多く、しかも「望まないパート」が多いこと、若い女性が自分のキャリアを追及せずに「気力を失っている」のは非常に残念です。今は「後退の時期」と言えますね。男女不平等の根っこは家庭にあると思います。子供がいないと男女はほぼ平等ですが、子供ができたとたんバランスが崩れます。ここ10年間で男性が家事・育児に割く時間は数分間しか増えていませんが、そういう男性の「受身的態度」が問題なんです。こういう私的な領域に法律が介入するのは無理ですから、この状況を変えるのは非常に難しい。私自身は子育てにも援助があったし、この年齢になって言うのは容易いことかもしれないけど、30代の女性に「闘いを止めてはいけない。自分のキャリアを犠牲する必要は全くない」と言いたい。女性は男性のエゴイズムを許してはいけないんです。
—近年のフランスの若い女性には「母性への回帰」の傾向があると言われていますが。
そのとおりです。それには理由があります。90年代の経済危機のために、雇用者と被雇用者の関係が変わり、仕事を探すのが難しくなった上に、仕事が見つかってもいつでも切り捨てられるという状況になりました。今の30代の女性は、仕事の世界が厳しくなったことで企業は信頼できないし、仕事と家事と育児で走り回っていた(自分がろくにかまってもらえなかった)母親のようにはなりたくないと思い、仕事や伴侶のように失うことがない子供に自分を投資しようと考えるのです。「子供のためにはすべてをしよう。私は子供という一つの作品を作るのだ」という考え方は幻想にすぎません。育児に専念しても、素晴らしい母親になるのはごくわずかの人ですし、3年間の育休の後に仕事を見つけるのは非常に困難です。
—パリテ(男女同数)の考え方には反対だとうかがいました。
私はフェミニストですが、パリテの考え方は好きではありません。パリテの奥には「対 paire」の考え方、男と女は異なる存在であるとする「区別、差別化」の考え方があります。パリテは男も女も人間として同じであるという、普遍的人間性という考え方を崩壊させます。女性誌<エル>の世論調査でフランス人の8割が女性大統領が生れてもいいという認識になっているは素晴らしいこと。女性に門戸を開かない政党は批判すべきだけれども、パリテを導入することは、差別をされていると感じているあらゆるマイノリティーに同じ機会を与えることで、パンドラの箱を開けるようなものです。
私はパリテ(男女同数)法で女性の政界進出が進んだとは思いません。セゴレーヌ・ロワイヤルにはパリテは必要ないですよね。
—これからのフェミニズム運動はどうなりますか。
今、フェミニズムは郊外であれ、パリの6区であれ、若い人にとっては「時代遅れ」でしかありません。近年パリテとスカーフの二つの大きな闘争がありましたが、宗教や文化違いを尊重するべきだとする「区別・差別化を掲げるフェミニズム」と、私の属する「普遍性を尊重するフェミニズム」の二つに分裂しました。フェミニズムは「死んだ」とは言いませんが、男女同権に関して法的に求めるものがなくなった今、残念ながら若い人が今後フェミニズム運動に参加するということはないでしょう。
Elisabeth Badinter:フェミニズム運動理論家、哲学者(18世紀仏啓蒙思想が専門)。『L’Amour en plus』、『Emilie, Emilie』、『L’un et l’autre』、『XY, de l’identité masculine』、『Fausse route』など著作多数。邦訳もされている。エコール・ポリテクニックで28年間教鞭をとる。広告界大手ピュブリシス・グループの監査役でもある。