昨年の9月19日付けのフィガロ紙で、哲学者のロベール・レデケール(52)は「ムハンマドは、情け容赦のない戦争のボス、略奪者、ユダヤ人の虐殺者、多妻者…それがクルアーンから浮かび上がってくるムハンマドの実像だ」などと論じたから、当然のごとく、イスラーム信者が大多数を占めるエジプトやチュニジアなどでは同日付けのフィガロ紙は発禁になった。フランス国内でも、彼の主張は人種差別あるいは反イスラームの色が濃いとして批判されたり、反人種差別団体のMRAPなどは、レデケールをビンラディンにたとえたりした。それに輪をかけるように、イスラーム原理主義者たちは、インターネット上に死刑宣告のファトワを流した。 レデケールは、1954年、アリエージュ県のレスキュールという村で生まれている。母はナチスに反対してフランスに亡命してきたドイツ人政治家の娘、父は第二次世界大戦中にアフリカに従軍したドイツ人兵と、両親共にドイツ人で、この南仏の村で農業に従事していた。厳格なしつけで育てられたレデケールだったが、その反動か、中学高学年の時から左翼の政治運動に加わり、2年生の時に2年留年。1974年にバカロレア取得。1980年には哲学の教授資格を得て、トゥールーズの高校や大学で哲学を教え始める。2002年の大統領選挙の際には、左派のシュヴェヌマン候補支援団体の会長を務めた。 9月のファトワ以来、レデケール夫妻には終始警護の警察官がつくことになり、一時的に自宅を離れて潜伏することを余儀なくされた。郵便物も40キロ離れた郵便局にまで取りに行かなければならないし、まだ中学生の息子も学校の寮へ。その上、いざということが起こってはいけないという危惧からか、教壇に立つことも拒まれてしまった。「カナダとかスペインとか他の国では私を支援してくれる人がたくさんいたのに、フランスではさっぱり。今の生活は、生活とはいえない。それにいつになったらこんな状態から解放されるのか?」(真) |