10月27日、パリ北郊外クリシー・ス・ボア市で警官に追われた3人の少年が電力公社EDFの変圧施設に逃げ込み2人(15歳と17歳)が感電死した事故が起爆剤となり、毎晩数百台の車やバス、幼稚園や体育館、警察署など公共施設への放火・破壊行動が繰り広げられ、他の都市郊外にまで広がった。感電死事故は、その2日前にパリ郊外アルジャントゥイユ市を訪れたサルコジ内務相の豪語「ラカイユ(社会の屑)を閉め出す」が、そこで生まれ育ち、失業と人種差別を日常的に生きる若者やアフリカ・マグレブ系移民に蔑視の矢となり突き刺さった直後だった。 炎上する車や公共施設が内戦のように外国でも報じられた、郊外の青少年らによる暴動の鎮圧のためドヴィルパン首相は10月9日零時、非常事態を宣言し、アルジェリア戦争中、1955年に制定された夜間外出禁止令を若者らの破壊行動の激しい県に対し発令(国民の73%が賛成)。さらに首相は義務教育(16歳まで)についていけない生徒は14歳から職業見習につけるようにし、ラファラン前内閣が廃止した、住民との関係を密にする「地元の巡査」や、各種アソシエーションへの経済的援助を再開し、左派ジョスパン元政権が布いた郊外への旧対策を復活させる。 50年代にパリ北郊外に広がった工業地帯の労働者団地に、60年代にアルジェリアからの引揚げ者やマグレブ移民が移住。パリ近郊クルヌーヴ市の〈シテ4000〉(4000所帯収容の団地)のような高層団地群が郊外に林立していく。70年代石油危機を境に工業地帯が廃れ、元労働者階級も団地を去っていく。80年代に移民の家族合流が許可されマグレブ・アフリカ諸国から妻子や多妻家族たちも移住。親たちの6割はフランス語を話さず、4、5人の子供を抱え家族手当だけで暮らす母子家庭が今日3分の1を占め、郊外団地シテの貧困化、〈ゲットー化〉が進んでいく。 大卒者でも、書類選考時にアラブ系氏名や移民家族の多い地域居住者、ブラックということから、白色フランス人応募者より就職が数倍難しくなる。放火行動に出た若者たちの30~40%は失業者なのだ。彼らを、ドラッグのディーラーかイスラム原理主義者の卵としてしかみないサルコジ内相に対する青少年らの絶望的蜂起ともとれよう。 英国式多民族コミュナリズムを排し、30年来、仏政府が進めてきた移民同化政策が失敗しウミが噴出。仏サッカーチームが誇る〈Black, Blanc, Beur(arabeの逆綴り)〉の3色がフランス社会に均等に浸透するようになるにはかなりの時間がかかりそう。(君) |
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