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サンルイ島
ILE ST LOUIS
7世紀、アンリ4世の遺志を継いで未亡人マリー・ド・メディシスが「牛の島」と大聖堂参事室のあった「ノートルダム島」の二つの島を統合させたサンルイ島。キリストの茨の冠を購入するほど信仰心の厚かったルイ9世の名に因んだ。以来島の館には、貴族や有名人が多く住む。
サンルイ島はレオ・フェレや、最近ではブリジット・フォンテーヌにも唄われている。「隣のシテに飽きたらイル・サンルイ… 自分が島ならば、都会の真ん中で静かにしていよう…」(フェレ)
◆ M。Pont Marie / Sully Morland
「なにか空虚なものがつねに私を悩ませる」カミーユ・クローデルここに居す。
ローザン公爵様だ!
シテ島
ILE DE LA CITE
パリの歴史はシテ島から始まる。Parisiiとはケルト語で「水上の小舟」。3世紀頃には小動物の狩りと漁が盛んだったという。
6世紀初めにクロヴィスにより首都宣言された。ノートルダム大聖堂、万人のためのパリ最初の病院Hotel Dieu、ローマ皇帝ユリアヌス、シャルル大王、フィリップ端麗王の王宮(現在の最高裁判所)、アレクサンドラン詩法の誕生…と神・官・文、全てがこの島を中心にしてパリは大都市へと発展する。
200もの浴槽を備えた公共浴場のあったヴェール・ギャラン広場、テンプル騎士が火刑になったドーフィーヌ広場の15番地にはシニョレとモンタンのカップルがいた。大聖堂裏ジャン13世広場上空には鷹が飛んでいるかもしれない。サンルイ橋でベルティヨン製アイスクリームを片手に大道芸人を眺める。
◆ M。 Cité/ Pont Neuf / Châtelet / St Michel
1607年に〈新橋〉と名付けられた一番古い橋「ポン・ヌフ」。
ドーフィーヌ広場
白鳥の島
ILE DES CYGNES
(白鳥の散歩道)
幅11m×全長850mの細長いこの人工島は、グルネル港補設のために1825年にできた。かつてユニヴェルシテ通りのあたりにあった小島に、ルイ14世が北欧から観賞用に連れてきた白鳥にちなんで付けた名前を後世になってこの島に付けた。
見どころはバルトルディ作の自由の女神。最初はエッフェル塔側を向いていたが、1937年のパリ万博の時にそれまでアメリカを背にしていた像の向きを修正したらしい。なぜかその女神様の周りは荒れていて、柵もチェーンが壊れていたりする。ポプラ並木が一部美しいのと、女神の左側の柳が圧巻なのを除けば、寂しい島。ジョギングする男女がたくさん駆け抜けて行くが、一人での散歩は少し怖い感じもする。
2階建てのビル・アケム橋を左に渡り、メトロ用のエスカレーターを二つ乗れば16区パッシーの気取った街に着く。
◆M。 Bir-Hakeim, Passy, Charles Michels
ビル・アケム橋
自由は世を照らす!まっすぐな道でさびしい
サンジェルマン島 /ビヤンクール島
ILE ST GERMAIN / ILE DE BILLANCOURT
サンジェルマン島はデュビュッフェの「顔の塔」で有名。その歪んだたくさんの顔が示すかのように、この島は様相を変えてきた。
紀元前52年、ローマ人とガリア人の戦場になり、558年にフランス王チルドベールの所有地の一部をサン・ヴァンサン修道院が譲り受け、サン・ジェルマン・デ・プレという名で1200年間に渡って住むことになる。ビュヤンコール島とかロングニョン島といわれていた12世紀には、今度はルイ7世がサン・ヴィクトール修道院へ土地を寄付。動物用に苅っていた柳をめぐって14世紀にはサン・ジェルマン・デ・プレ側がサン・ヴィクトール側を斧や刀で攻撃する。つまり殺し合ったということになるが、裁判でサン・ジェルマン・デ・プレ陣に罰金が科せられる。その後島はイシー・サンテチエンヌ教会の所有となるが、革命後公共化される。そんな過去の喧噪は遠く、19世紀、特に下流側はロマンチックで田舎風の風情は画家パップやクールベを魅了し、当時のダンスを楽しめる居酒屋“ガンゲット”やレストランで賑わう〈世界の先端〉と呼ばれたとか。
発展に目の眩んだイシーの市長エドゥアール・ノーは倉庫を建てたり万博を呼びこんだり、さらには島の半分を軍隊に売ってしまった。20世紀の初めはスラム街と化し、第二次世界大戦では隣島のルノーの工場を狙った大空爆の煽りを受ける。60年代に提案された砂・セメント置き場計画をブーローニュ、イシー、ムドンの3市が阻止。1978年軍隊の撤去跡を加えて1980年、晴れて12ヘクタールのサンジェルマン島公園が誕生した。
そんな苦悩の顔を持つ島のシンボルの塔の周りに広い芝生が広がる。どこにいても水色の工場煙突は視界に入るが、島からは川があまり見えない。兵舎の跡だという少し息苦しい感じのJardin closのシリアル畑や花壇を抜けるともう向こうに住宅群が見えてくる。
下流側のビヤンクール島は、昔はルノー工場で働く労働者で朝夕ごった返したそうだが、今は新旧住宅の混ざった、どちらかというと高級住宅街。島の先まで行けば幽霊化したスガン島がすぐ目の前に現れる。ムドン側の川面近くのプロムナードを歩いて、ペニッシュの住人の生活を見ながらビヤンクール橋まで戻る。トラムウェイ2のムリノー駅からのデファンス方面はしばらくセーヌを沿って走る。
◆RER C / T2 : Issy Val de Seine, Les Moulineaux
公園入口:Pont d’Issy / Pont de Billancourt / 170, quai de Stalingrad :8h-20h(季節による)
サンジェルマン島、公園に関するサイト
デュビュッフェの「顔の塔」高さ24m。現在閉鎖中。
La Maison de la Nature
街、庭、森…子供達にエコロジーを体験してもらう。
週末はカヌーやボートでラッシュ。
1667年には小島が
複数あった。
スガン島
ILE SEGUIN
ルイ15世が娘たちに買い与えた島は、セーヴ島ともマダム島とも呼ばれた。革命前には洗濯屋に売られ、後、国に買い上げられるが、1793年には数カ月後に殺害されてしまう銀行家が買い取り、翌年、革のなめし製法を革新した化学者スガンのものになる。
やっと安定したご主人を得た島は、鳩狩り、釣り、貸しボート…レジャー享楽の道を行く、これがベルエポックの時代。
その後ルノー車産業黄金時代にバトンタッチするのが1930年。1992年に工場は閉鎖、取り壊された。そしてピノーの時代となるはずだったのだが…。
次は医薬品関係の工場とも、国がらみのアートセンターとも…またまた揺れ動くスガン島なのだ。
かつてのルノー工場。