1998年5月、作家ジャン=リュック・エノディは、ル・モンド紙に、モーリス・パポン(オヴニー447号、509号参照)は、彼がパリ警視総監だった1961年10月17日、管轄下にある警察を動員してアルジェリア人の独立要求デモを弾圧し、約200人を殺害したという記事を書く。98年7月、すでに「人類に対する罪」で有罪判決を受けていたパポンは、エノディを名誉毀損で訴える。エノディは国立古文書館に当時の資料の公開を求めるが、拒否される。エノディの主張を裏付ける資料に精通していた古文書館研究員のフィリップ・グランとブリジット・レネは、裁判所で証言。「私たちが証言しないことは、国際法から考えて倫理的に許されないことだった」 この証言のおかげでエノディには無罪判決。ところが、国立古文書館館長は、二人の証言は職権濫用とし、彼らから主な仕事を剥奪し、そのまま5年が経っている。 66歳になったグランは4月に定年退職。「フランスの役所はソビエト同様。情報はブロックされ、1961年10月17日の出来事はちょっとした過ちでしかないのさ」(真) |