10月14日、著名なガン専門医、レオン・シュワルツェンベルグが肝臓ガンで亡くなった。79歳。 ユダヤ人家庭に生まれ、二人の弟(密告されて強制収容所に送られ死亡)とともに18歳の時にレジスタンスに参加。戦後、医学を学び、1971年にパリ郊外ヴィルジュイフ市にあるガンおよび免疫遺伝研究所の教授に就任。85年には《Requiem pour la vie》を出版し、当時のフランスではタブー視されていた安楽死を取り上げる。88年には社会党政権の厚生担当相に就任するが、一部の麻薬の合法化などを口にして、9日後に辞任。その後は、貧しくて住宅のない人や滞在許可証のない外国人の側に立った闘いに身を投じていく。 彼のかたわらで闘ってきたジャック・ガイヨ司教は「彼は単に理論家だっただけでなく心温かだった。あばら屋に住んでいる家族を前にし、涙を浮かべながら《ジャック、私たちは、なんという社会にいるんだろう》ともらした」と語る。 1996年には滞在許可証のない移民たちとパリのサン・ベルナール教会で寝起きをともにする。その後も欠かさずデモに参加、病気で体が弱っても、妻のマリナ・ヴラディの手をとりながら「なんてことだ! 若かったら、走れるのに」と闘志を失わなかった。(真) |
“Putain! Ah, si j’étais jeune! |