2003年年明け、モスクワは15年以来の寒波で零下40度以上、1月10日までに242人が凍死、零下31度を記録したドイツでは8人が凍死、と欧州を襲った大寒波の報道が流れるなかで、パリも年頭に雪が降り、2週間近くにわたり寒波に襲われた。 パリではホームレス(SDF)4人が路上で凍死。一人は凱旋門近くのパーキングの入口で死んでいた。ブルターニュ北岸の町でも一人のホームレスが凍死している。 寒波から路上生活者を緊急に救助するため1月3日、保健社会援護局(DASS)は、パリでの「大寒波対策計画」を復活させた。パリ市はもちろんRATP(パリ交通公団)や “社会”緊急救助サービス、慈善事業団体が一丸となって救助活動にあたった。パリ市は二つの体育館や国立病院の一部を宿泊所として開放し、約4500人分の簡易ベッドを用意し彼らの収容に努めた。1月9日、パリ警視総監は「危険に瀕している者を救助する義務があり、極度の困窮状態にあるSDFは強権発動により救助すべし」と通達。さらにフリーダイヤル115番を設け、SDF自身あるいは通行人でも救助サービスに連絡できるようにしている。 深夜、凍る歩道やセーヌ河岸の橋下に横たわるホームレスたちに、宿泊所に来るようにと説得して回っているのが巡回班(maraudes)だ。が、数年、同じ場所に愛犬と野宿しているSDFが多い。住民とも顔見知りになり「ボンジュール」を交わすSDFにとって、パリ西部郊外ナンテールの宿泊所などは収容所的なイメージが強いのか、犬の同伴は認められず朝8時には出されるという規則も二の足を踏ませるのだろう。巡回班はまず彼らに温かいコーヒーを配って回り、彼らとの対話の糸口をみつけては説得に努めている。 1月中旬に、レアール脇のブロドネ通りにあるエマウス協会本部を取材させてもらった。堂々とした19世紀の建物のホールには50人ほどの、どこの国の出身かわからない無表情な男たちのうつろな視線が、映画放映中のテレビ画面に向けられていた。頭まで寝袋を被って寝ている者もいた。黒人もいたが、たまにロシア語も交わされていたからロシア系の男性もいるのだろう。 同本部の責任者エレーヌさんによると、 寒波に入って以来、毎晩200人から300人の路上生活者や不法入国者が集まって来るので、応急的に床に畳を敷いて彼らを寝かせているという。エマウス協会が運営するパリの困窮者受入れセンターだけで毎日約千人を収容。最近目立っているのは、年末に解体されたサンガットの密入国者収容所にいた者や亡命許可が下りなかった家族連れだそうだ。彼らはパリのホームレスの層をさらに厚くしているといえる。しかし、エレーヌさんは強権発動による連行的な救助には賛同せず、どこまでも個人の意志を尊重し、どん底から這いあがらせ社会復帰するまで援助すべきと、一貫した救援活動を強調する。 1954年の大寒波で、当時42歳だったエマウス協会創立者ピエール神父がラジオをとおして「救援を! 路上で死者が出ないように」と国民に呼びかけた悲壮な叫びが、50年後の今日、国籍も、合法・不合法入国者も関係なくほどこされている救済事業の根底に響いているのである。(君) *SDF : Sans Domicile Fixe (住所不定者) |
仏国内SDF死亡者数(2000) 86(89)人 全国 |