IL Y A UNE COUILLE
« cul » のほかに、俗語によく登場する体の一部分は、下品な言葉でいうと « couille(キンタマ) »。 »cul » は « avoir du cul « や »avoir le cul borde de nouilles » のごとく、しばしば幸運を意味します。 »T’as vraiment du cul d’avoir trouve cet appartement!(こんなアパートを見つけるなんて、君は本当に運がいい) »。 « Il a le cul borde de nouilles, ce mec. Il réussit tous les examens!(あいつはついている。試験に全部うかるんだから) »。それに対して « couille » は、 »J’arrive pas à fermer ma braguette! Il doit y avoir une couille quelque part…(ズボンのチャックがしまらない。どこかおかしいのかなあ) »のごとく、困難さ、予期できずどうしていいかわからないトラブル、あるいはエラーなどを意味します。
クロード・デュヌトンはこの慣用句の起源について面白い仮説を立てています*。「なぜエラーと結びつくことになったかというと、植字工は、誤植のことを »coquille » というのが習わしで、 « coquille » の植字を間違って « q » を欠かすと、 « couille » となる」

どちらかというと、一見セクシーな言い回しです。この合成語を読んだだけでは、あるいはイラストを見ただけでは、スカトロジーそのもの、邪念が浮かんできます…。でも、ストップ!勘違いしていることにお気づきですか。安心してください(もしかするとガッカリさせたかもしれませんが)、 »leche-cul »というのはおべっかを使う人を指すのです。第一、おべっか使いは « lécher les pieds/bottes »と足や長靴をなめることもあります。もちろん下品ですが、すべては態度に関わることで、行為自体とは関係がありません。さあ、これで安心、それともガッカリ?

王政復古時代にまでさかのぼる « coûter les yeux de la tête(目玉が飛び出るほど高い) » という表現を、超下品にすると »couter la peau du cul(ケツの皮ほど高い) »で、70年代から普及しました。「ケツ」では下品すぎて口に出しかねるという人は、 »coûter la peau des fesses »と、「(お)尻」にかえる手はあります。まあ、イメージは同じでも、少なくともあなたのイメージは救われるというわけです。
「皮なしは安いけれど、皮つきの方が見た目がいい!」

「ヴァイオリンの中におしっこする」。なにかいいことでもあるのかな、と考えるだけムダ。何の利益もありません。この表現は「まったく役に立たないことをして、
時間をつぶす」という意味なのです。この言い回しは、19世紀末に現れ、第一次大戦の間に大流行したといいます。ずっと塹壕に閉じこめられ、今やっていることには意義があるのだろうかと自問自答していた兵隊たちのことを思えば、この表現が流行したこともうなずけます。スカトロジー的表現は、だいたい兵隊に負うところが大きいのです。女性がいなくなると男性がどれだけ下品になれるかは、想像も及びません。
「パンツの中にするよりはましじゃない」

