生産過剰で、たくさん売れ残ってしまうのではないか?と、余計な心配をしたくなるほど、今年の春・夏物は迷彩柄が多い。これだけ多くのカムフラージュ柄の服を、着る人がいるのだろうか? 洋服屋にも、鞄屋にも、雑誌を開けばそこにも溢れている。ファッションだからただ楽しめばいい、とは思うのだが、個人的には戦争のイメージが強くて着られない。トレンチ(塹壕)コートならもはや戦闘着というより街着になりきっているから躊躇しないのだが。女性の迷彩柄の春・夏物は、薄い布のスカート、ハイヒール、水着など〈軍服〉の枠から外れたものが多い。女性は〈過酷さ〉を想起させる布をまとい、自分の〈柔らかい体〉と対比させ、女らしさを強調させる効果を狙うのか?それとも強さを表現したいのか。 そもそもカムフラージュは、先史時代から狩猟の際に、動物の皮や羽根、葉などをまとって獲物に近づくために施された。今でも狩猟グッズ屋さんに行けば、その頃と同じ目的に使う道具や、優秀そうなカムフラージュ服が並んでいる。 戦場で、闘う敵同士の距離が近かった時代は、威勢を示すために豪華なユニフォームが好まれたが、武器が進歩して敵との距離が長くなると、カムフラージュが必要になってきた。1844年に、フランスで無煙火薬が発明されたが、煙がないと歩兵たちの姿がくっきりと見え、敵の標的になりやすくなった。派手な軍服は、もはやプラスにならないと判断したイギリス軍は、ボーア戦争を終えた1902年、公式軍服を赤からカーキ色に変え、次いでドイツ、オーストリア-ハンガリー帝国、ロシアも、派手な軍服はパレード用にとっておき、戦闘服はカーキ色にすることにした。 フランスは、輝かしい〈紺のジャケットと赤のズボン〉の軍服を捨て切れずに第一次大戦を迎えた。亡くなった約33万人の命(全戦没者数の3分の1にあたる)は、この赤のズボンが原因だったと言われている。もちろん、戦争がなかったら赤ズボンだろうが何だろうが、こんなに大勢死ななくて済んだのだが。 現在のような迷彩柄が戦場で実際に使われたのは、1916年、ドイツ兵がヘルメットに柄を描いたもので、次第に戦車や監視所なども迷彩柄で覆われるようになる。白黒の航空写真に写っても見つからないためには、形と色のコントラストを迷彩で乱す必要があったのだ。画家のフランツ・マルクは大砲を隠す防水シートに迷彩を描いて「9枚のカンディンスキー」と名付けていた。1918年、フランスでは1200人の男性と800人の女性から成る「カムフラージュ隊」が、武器、監視所などを次々と迷彩柄にしていった。 1937年にコダック社が赤外線写真を発明したほか、光増幅機、温度・熱に反応する探知機と、どんどん偵察技術が発展し、その度に軍服も変化を強いられ、人間の体温が外側から感知されないような布地だとか、温度を低く保てる布地などが研究されている。チップを内蔵し、雪、砂漠、緑地と環境によって色や模様を変化させられる迷彩服は実験段階だという。迷彩柄が戦争に使われなくなって純粋な街着になるのは、残念ながら遠い未来のことのようだ。(美) 「この格好は、軍の放出品を売っている店で仕事をしているから。でも軍隊は嫌いで徴兵は拒否した。普段はまったく違った格好をしている」というアレクシさん。ズボンは砂漠用の迷彩柄。湾岸戦争で登場した3種の迷彩柄のうちのひとつ。 |
エストニアの迷彩。
デパートのウインドーの迷彩ドレス。 |