20世紀から何を救うか
昨年の夏に企画された『La Quinzaine littéraire』の特集=アンケートには、哲学者Jean-Luc Nancyから、ノーベル賞作家Claude Simonをへて、日本でも人気の作家Jean-Philippe Toussaintまで、様々な作家が回答を寄せている。
アンケートは、「20世紀から何を救えるか?」という問いだが、この問いは、「すでに歴史家が大枠を記している出来事ではなく、個人的に記憶に生々と残っている出来事、21世紀を迎えるにあたって再評価されるべき、あるいは決定的であったと思われる出来事は何か」とも言い換えられるとされる。
寄せられた回答からは、それぞれの作家の独自性がみられる。何を救うかという問いへの簡潔な答えでは、例えば、「森林」、「ハッブル天体望遠鏡」、「シュルレアリスム」、「映画」、「避妊・堕胎の自由」など。逆に、何も救うものはない、といい切る者たち。そしてバカロレアの哲学の課題であるかのように(!?)、「救う-sauver-」という言葉から思考を発展させ、「救済-salut-」の可能性そのものがないのでは?我々は「無傷-saufs-」で20世紀を乗り越えたのか? などと問いかける者たちもいる。
また、出来事という面からのアプローチでは、もちろん、戦争、ホロコーストなど、20世紀に「悲劇の」、「恐怖の」という形容詞を刻むにいたった出来事が挙げられる。これは21世紀に「生き残った」(?)我々の共通観念であるが、そこから各作家の強調点はやはり、実体験、そして思想にそって、多様である。
こうした各作家の考察・意見の多様性をこえて、わずか数十ページからなるこの特集から見られるのは、20世紀自体の多様性、多形性なのだろう。
集成、20世紀
2000年後期、ガリマール社発行の季刊誌『Le Débat』は、3号にわたって20世紀最後の20年の総括を試みた。
この試みは、同誌の50号(1987年)での企画「Notre histoire, matériaux pour servirl’histoire intellectuelle de la France, 1950-1987」、のちにフォリオ版で改編された『Les Idées en France 1945-1988』につながるものである。
1989年に出版されたこの文庫版では、政治、社会にとどまらず、文化、科学的発見なども含め、戦後フランスの主要な出来事が年代順に記され、重要とされる事項や各時代における社会的、政治的、そして知的状況が簡潔にまとめられる。そして結びにかえて、「Existance」、「Alitération」「Discours, structure」、「Désir, pouvoir」、「Totalitarisme,libéralisme, individualisme」という五つのキーワードをめぐって、フランス戦後思想状況の考察が提示される。こうして、よくできた歴史の教科書のようになっていることで、この本は一般読者にも読みやすく、参照しやすくなっているだけではなく、20世紀後半のフランスの流れが簡潔にとらえられており、手元に置いておきたいものである。
かえって、2000年の3号にわたる特集は、平常の号と同様に多彩な「知識人」からの寄稿からなっている。この様々な論説から浮き上がってくるのは、過去となっていく20世紀、すでに通過したものの、我々の中に生き続ける20世紀への問いかけや模索、考察としての「aventure」であろう。1980年、創刊時に発された「知識人は何ができるか?」という問いは、2000年には「知識人への告別?」という問いへと移行しているが、それもこうした知的「aventure」という意味で解されることだろう。
この3号にわたる20世紀最後の20年の集大成の大枠は、基盤と深層を扱った第1巻における一連の論説のタイトルである程度示されるだろう。「民主的ア
ンガージュマン」、「人権が一つの政治となる時」、「ヒューマニティーの終焉」、「文学の後」、「サルトル、フーコー、ブルデュー、批評的知識人の変
容」、「インターネットと組織網」等々。こうした多様な論説が、政治、文化、思想という区分けをされることは、もっともであり、当然である。が、『Le
Débat』の視点の特徴の一つに、政治や文化と同等に、現代の重要な問題として、教育問題が扱われていることは最後に記しておくべきだろう。